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□I'm 劣性
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「君は、人を殺したことがありますか?」

落ちかけた陽の朱色を受けた笑顔は、例えるなら血にまみれた天使のような。


I'm劣性


「うーん、まさか柿本くんのとこだったとはなあ」

「……」


誰も聞いていない先生様のお偉い演説、人の背中を押してやれる人間になれとかそんなこと。

窓の外の景色は色づいて認識できる筈なのに、どうしてこう灰色に見えるのかと時々思う。

二色の世界に住む自分たちを待つのは暗黒か純白か。

どっちにしろ闇に変わりはない。

放課後、下駄箱から靴を取り出そうとすると靴の上に封筒が置かれていた。

見慣れた赤に染まる封筒に書かれたのは時間と三階の空き教室という文字。



「適当なとこに突っ込んだのに、どうして最後の最後に神様はこういうことするのかなあ」


「あ、そんなとこ突っ立ってないで座ってよ。少し長いお話なんだ」

「柿本くんは、朝起きてまず何を思う?」

「私はね、ああ、またかって思うの」

「また、私じゃなかった」

「また私は死ねなかったんだって」

「起きて息を吸う度に失敗した事実に最悪な気分になるの」

「勘違いしないでね、別に熱狂的な自殺願望を持ってるわけじゃないから」

「でも、毎日思うんだ。私はいつ死ぬんだろう」

「いつになったら私の番になるんだろうって」

「私はね、死ぬのってちゃんと順番が決まってるんだと思うの」

「それは神様とかいうやつらがシャッフルして決めてるかもしれないし、好みとかかもしれない」

「でも、自分の前の人が死んで、自分の前に回ってきたそのときにやっと死ねるんだって」

「奇跡の生還とかそんなのはきっとまだ順序を無視して死のうとした人なんだと思うんだ」

「死神なんて理論も、自分の一個前の番号で死んだ人が迎えに来てくれてるだけなんじゃないかな」

「どうかな、この考えは中々よく出来てると思わない?」


夕日の色は残酷だ。

染み込むことも洗い落とすことも出来ずに残り続ける。

俺たちの生命やしがらみや苦しみやその他全てのものを覆い尽くす、何一つ関与せずに。

何一つ意味を持たせずに。


「ね、柿本くん」

「君は、人を殺したことがありますか?」

「私はね、あるよ」

「もう、それが普通は出来ないことだってわからなくなるくらいに」

「たくさん、たくさんね」

「最初はね、お母さん」

「私のお母さんって私が物心ついたときにはもう管だらけの身体で生きてたの」

「見た目だけだと生きてるのかわからないんだけど、手を握るとちゃんと握り返してくれて」

「習ったピアノの曲をお母さんの手の上で弾いたりすると、すごく喜んでくれた」

「温かくて、大好きだった」

「でもね、一年くらいして、お父さんが知らない女の人を連れてきて私に紹介したの」

「その間も勿論、私はずっとお母さんのところに通ってて」

「ある日ね、私が帰ろうとしたらお母さんが私の手を離してくれなかった」

「あの、衰弱し切ってるお母さんの力じゃないみたいな強い力で」

「どうしたのかなって、立ち上がったら」

「お母さん、泣いてた」

「私ね、わかっちゃったんだ」

「お母さんは死にたがってるんだって」

「私が何も言わずに頷いたら、お母さんの手が離れて、私の頭を撫でたいときにいつもする合図みたいなものがあってね、それをしたの」

「だから、私しゃがんでお母さんの手まで頭を持っていった」

「そしたら、お母さんの手が私の涙を拭ってくれてた」

「私ね、ずっと一人でしか泣いたことなかったから人に涙を拭いてもらったのって初めてだった」

「不思議だよね、拭いてもらうほど、止まらなくなるなんて」

「その後、私はお母さんを生かしてた機械のスイッチを切って走って逃げたの」

「いっぱい走った、どこまで行くのかわからなかった。どこにも行けない気もしたし、どこにでも行ける気もした」

「ただ、どこに行ってもお母さんはいないんだろうなって」

「泣いても拭ってもらえないんだろうなって」

「温かかったなあって」

「それからはずっと『どうして』の繰り返し」

「雨が降っても夜になってもどうしてどうしてどうしてどうして」


自分への質問攻めはいつも同じ答えを探すためにしていることだと、かつて教えられた。

本当は見つけているその答えから必死に目を逸らして見ないふりをする。

わかっているのに、気づきたくないから、わからないふりをする。

そのたった一つを避けるために回答する前にまた問いを繰り返す。


「ねぇ、知ってる?」

「山手線で線路に飛び込み自殺しても、その電車は30分で復旧するって」

「人が一人死んでも影響が出る範囲なんてすごく小さくて、しかもたったの三十分」

「命が一つ消えても、他の都心に住む多くの人間にとっては何でもないただの電車の遅れ」

「いくら長く生きてもそこで死ぬのは一瞬で、影響が出るのは三十分」

「命の処理なんて、そんな時間しか要さないんだよ」

「その小さな世界の中心の変化なんて、波になれない可哀想な水面の揺れでしかないんだよね」

「笑っちゃうよね」

「私の親友はね、実のお兄さんを愛してたの」

「でもそのお兄さん今度結婚しちゃうんだって、子供が出来たみたい」

「それでその子は壊れちゃって、死にたいって」

「『昔あんたが話してくれた、自分の番っていうのが来た気がするんだ』ってそう言ったから」

「だから、彼女の背中を押してあげた」

「そしたら、ちゃんと死ねてたの」

「ちゃんと順番が回ってきてたんだって、安心した」

「それでね、思いついちゃった」

「ああ、こうやって死ぬ順番を早く回せば私のところにもっとすぐ来るかもしれないって」

「それから、たくさん回した」

「死にたいって言った人の背中を押してあげた、その人が私の死神になるように祈って」

「皆死んじゃった」

「そしたら、自分が死神なんじゃないかって、そう思えてきたりした」

「でも違う、私は生きてるから」


昨日の朝会で教師がクラス全員に静かなトーンで話した内容は、この女の父親が亡くなったという話。

皆であいつの背中を一緒に押してやろうな、そう言って勝手に納得していた様子の教師が何より適当な現実のように見えた。


「柿本君は、蝋人形って見たことある?」

「あれってさ、すごいよね」

「本当に人間そのものみたいで」

「実際、お母さんの死体は蝋人形にしか見えなかった」

「死んで、お母さんは死体になって冷たくなった。それが人間だもんね、今ならわかるよ」

「でも、蝋人形は死なない、死なないで元から蝋人形で」

「蝋人形と人間の身体って何が違うんだろうね」

「身体の中身のつくりとかそういう話じゃないよ?」

「だってさ、最終的には見分けがつかなくなっちゃうのに」

「お母さんのあの温もりが生きてるってことなら、それを手放したら私たちは蝋人形と何も変わらないよね」

「蝋人形と死体はイコールで、死体と人間はイコール」

「だったら蝋人形と人間だってイコールで結ばれてしまうでしょう」

「生きると死ぬって何が違うんだろうね」

「生きてって最終的には死ぬのにね」

「だって、死ぬまでを生きるって言うなら、生まれてからの時間を死んでいくって言うことも同じでしょう」

「それなのに、どうして生きようなんて言えるのかなあ」

「ねえ、柿本くんは知ってる?」


偶然なんかじゃなかった。

あれはむしろ運命に近いような。

その瞬間の電車の過ぎ去る音だけ、鼓膜を破る勢いがあるように感じた。

その時、きっとそこが君の世界で一番大切な場所だったんだろう。


「私ね、ずっと柿本くんのこと気になってたんだ」

「少し好きだったかもしれない」

「特に、その目が好きだった」

「綺麗に濁った目をしてる」

「生きることも死ぬことも放棄してる目」

「羨ましかった、私はそこまで深く絶望出来ないから」

「諦めきれずにもがいて、楽な道を選ぼうとしてる」

「ねえ柿本くん、君に話せてよかった」

「君があのときの目撃者でよかった」

「止めないでくれてありがとう」


「はい、これお礼」

「あ、これは余談なんだけど、私ね、レモンティーが好きなの」

無理矢理渡された百円玉はずっと握っていたのか生ぬるい。

この生ぬるさこそがもしかしたら求めているものなのではないかと思ったけど言わなかった。

それを言ったら壊れてしまうかもしれないから。


「ねえ柿本くん、明日も夕日は赤いのかなあ」


泣いているのはわかったけど、拭うのはきっと俺じゃないのだろうともわかっていた。

わかっていて、珍しく少し感傷的になっていた気持ちが、ありがとうと呟いていた。





「犬…どこ行くの」

「…ゲーセン」

「最近、無駄遣いしすぎ」

「うるせえ!てめーはオレの母親か!」

「それは辞退する。…でも電車は乗らない方がいい」

「あぁ?」

「多分、今日は時刻表通りには回らないから」


言うことを一切聞き入れない犬に、駅まで何となくついていって、電車を間近で見て、少し圧倒される。

これを三十分止めるのはそれなりに凄いことのような気がして、君は一体合計何時間止めたのかを考える。

喉が渇いたので近くにあった自販機に昨日渡された百円玉を投入する。

一つも点灯しないランプ、ポケットを探して出てきたのは10円だけで、レモンティーは買えなかった。

仕方ないので、取り敢えず、雨が降って君が簡単に流れてしまわないことを祈ってみることにした。

君が消えないように残した幾つかの話の質問の答えは未だ一つも見つかっていないままで。







end

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