俳優夢

□▼Prede termined
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それから、ターピン判事から正式に縁談の申し入れが来たのはすぐだった。

子沢山の賑やかな家だったが、この男からの恭しい立派な申し入れ書が家長の父の手に渡ると、兄弟達の喧騒は自然と納まるのだった。



「…断ってもいいんだよ」

貴女の父は、青い顔をしながら元気なく呟いた。

子供が何人もいるせいか、貴女の父親はかなり老け込んでいたが、今目の前にいる父は普段よりも老人に見える。


「いいの、パパ…私、お嫁に行くわ」


母親に髪を梳いて貰いながら、貴女は呟いた。
決然と、目の前の化粧台の鏡を見詰めながら呟く娘に、後ろから髪を梳いてやっていた母親はウッと泣き出す。


「おまえや、泣くんじゃないよ…。辛いはずのこの子だって泣かないんだ、母親のおまえが泣いてどうするんだ」

押し殺すように泣き出す妻の体を、父はぎゅっと抱きしめる。


「安心して…、私パパやママが考えてるより、そんなに怖くないの…」

母親に綺麗に結わいで貰った髪に、七宝細工の蝶の飾りが付いた髪飾りを挿して貴女は立ち上がる。


「だから、そんなに心配しないで?」

「なんて強い娘だ…、パパはおまえを誇りに思うよ」

父は、妻を抱きしめながら片手を伸ばし、娘を抱きしめた。


「パパ、ママ…今まで育ててくれてありがとう」

泣き咽ぶ母親が引き寄せるようにして貴女を抱きしめ、それを見ていた父親は辛そうに瞳を伏せた。



ЖЖЖ



「とてもよく似合ってるよ」

ロンドンの一等地とも言える場所にあるターピン邸。
そこに、馬車で乗りつけた一人の若く美しい娘を屋敷の主が出迎えていた。


「ありがとうございます、サー。貴方が贈ってくれたおかげです」


馬車の小窓から顔を覗かせ、表情を硬くしながら言う貴女に、ジャッジ・ターピンは無言で小さく微笑んだ。

「君に似合うと思ったから、贈らせて貰ったんだ。どうやらそれは日本の物らしい…」


馬車を操ってきた従者の男の手を跳ね退け、ターピン自ら馬車の中の貴女の手を取る。

「日本人は黒髪だからね、君のその漆黒の髪にも、きっと似合うと思ったんだ」


女の小さな手を取り、馬車のテロップを踏ませながら地上に下ろす。
そして、そっと綺麗に結われた貴女の髪を撫で上げた。

「…サー?」


艶やかな漆黒の髪に指を滑らせて、妖しく微笑む目の前の男に、貴女は目尻を微かにヒクつかせた。


「さぁ、来なさい。一緒にディナーでも頂くとしよう」

「…はぁ」

気味の悪いブロンズ像が、門柱の上から二人を見下ろしている。
貴女は、その悪魔にも似たブロンズ像を見上げて、そして隣に立つ長身の男――ターピンに目をやった。


「…どうかしたかね?」


顔を引き攣らせて自分を見上げてくる幼妻に、ターピンは真意の読み取れない微笑を浮かべる。


その男の顔に、貴女は何か危険な影を見た。

何か言葉では表せない、狂気にも似た、危ない何かを―――…



この男の元に行けば、貴女の家は随分と楽になるのはわかっていた。
そう、貴女の家は家名ばかりが立派なだけで、今や火の車に等しい程に財政が逼迫していた。


兄や姉達は、もう嫁いだり思い思いの仕事などに就いていたりしていた。
そして末娘の自分だけが、一人まだ独身だった。

そんな自分が、大金持ちの男に嫁げば、両親は随分と楽になれるかと思ったのだ。

だけど、この男のことを自分は、少し甘く見ていたのかもしれない。


本当は、泣いてしまいそうになるくらい怖かった。

まだ16歳の自分が、見ず知らずの親子程も年の離れた男の元へ嫁ぐ――
両親の前では虚勢を張り、何も怖くないと言い張っていたが、いざこうして男の元へ来てみると、今にも逃げ出したい気持ちに駆られる。

今にも両親に、やはり嫁ぎたくない!と泣き付いてしまいたい思いだった。


「…さあ、おいで。君の趣味に合わせて、部屋もドレスも新調したものを揃えさせたんだ。きっと君も気に入るよ」


不安に顔を曇らせていた新妻の美しい顔を覗き込む判事に、貴女ははっと顔を上げる。

「さぁ、来てくれるね?この屋敷に…私の元に――」

優しげに微笑む男を見上げ、貴女は不安に引き攣る顔を微かに緩める。


「はい――…」


それから、貴女の姿を見た者はいなかったとゆう。
若すぎる花嫁の行方は、判事と神のみぞ知る――…



END



2008.12.05管理人@ナタリー
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