インスマスからの脱出~SALVATION

□インスマスからの脱出 〜エルドリト・リーED+α〜
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 夕闇美しいアーカムの、とあるアパートでエルドリト・リーは黄昏ていた。

 手には大経口のリボルバーが握られている。込められた球は一発。

 エルドリトは深くため息をついた。この夕焼けが最後に見る光景だと思ったその時に自然と出たため息だった。

思えばろくな事がなかった。中国で成功した糞親父に運悪く見染められた女から生まれたことから不運だった。母と父の関係か破綻し、母に引き取られた後、エルドリトは母からは必要最低限以下の待遇しか受けなかった。そしてその母の願いを聞いてインスマスの寂れた家を調べた結果知ってしまった、呪いに似た自分のルーツ。


「………くくっ」


思い出してエルドリトは口に出すほどの笑い声を上げた。小さな笑い声は何処か慟哭に似ていた。つう、と変じた頬に水が伝ってゆく。伝った先にあった顎は以前より削れていた。首の両側には小さなエラがパクパクと彼の呼吸に合わせて動いている。伝った水は下に落ちてゆく。

彼はこの変化について全てを知っている。これはインスマスの風土病ではなく、遺伝なのだ。自分を構成する遥か遠い祖先から続く遺伝子が彼を変質させていっている。そしてその変質は彼の思考すら蝕んでいた。それは海溝から湧き上がる海水のように絶え間ない、異様な、己の本質の解放。人間としての暮らしを放棄し、新しくも古い絶対的力を持った力と共に暮らす、束縛無き生命として生きる歓喜。縛られ続けた彼にそれはどんな光よりも美しく感じた。しかし、それは人間を捨て、人類にとっての脅威になることも彼は知った。それらは人道的に反していた。忌まわしかったのだ。彼の中でその二つがぶつかり合っていた。インスマスで全てを知った彼は恐怖に震えていた。

悩んでいた彼を訪ねてきたのが彼の友人の妹、エミリー・フロスト達だった。彼女とその友人は厄介ごとに巻き込まれてインスマスに来ていた。彼は、彼女の抱える事件について手伝うことにした。彼女にはすぐに日常に戻って欲しかったのだ。しかしトラブルが重なっても彼女と友人達は目的を完遂しようと動き続けた。彼には悩んでいる時間はなかった。彼は出来る限りのことをしようと動いた。動いている間は全てが忘れられた。ただ、友人のジャック・フロストを悲しませたくなかった。

しかし、エミリーの仲間であったレアという青年がエミリー達を裏切った。エルドリトは彼がインスマス面と呼ばれる者どもと一緒にいるので直感した。レアも又、自分自身と同じだと。同時に、胸の奥から怒りに似たものがこみ上げた。レアと戦った時に出た自分の叫びは、今思い出しても信じられない。


『お前は人間だろう! 人間としての誇りはないのか!』


 よく考えれば自分自身にもあまり人間としての誇りなんて無かった。


 夕日が沈むアーカムの町並みを見ながら彼は苦笑する。瞳には涙がたまり、頬をゆっくり伝ってゆく。

その後は一般人とは思えない、軍人並みの射撃能力を持ったアリスという女性の転機もあって上手く戦いの場から逃げることが出来たアリスは本当に強そうな女性だった。少々引っ込み思案だったが強い力を持つ……もし、エルドリトが恋というものをするのならば彼女のような存在かもしれない。





そこまで考えて彼は渇いた嘲笑を零した。

もう、そんなことはないのだ。忌まわしい血による忌まわしい思考の変わりようはもう止まらない。このままでは自分もレアのように、彼らのようになれはてるだろう。

 彼の心はきまっていた。


最後に、数少ない友人の妹と、巻き込まれた不運な女性を救えたのだ。心残りはない……彼はリボルバーを持ち上げ、こめかみに当てた。


夕日が落ちてゆく。部屋に闇が入ってくる。

ゆっくりと息を吐く。ため息に似ていた。
これ以上待っていられない。


早く。


心が変わってしまう前に。


人間でなくなってしまう、前に。


………。






「嗚呼、ろくでもない、人生だったなぁ……」



 震える言葉は、どんな海溝より深い悲しみを帯びていた。
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