2009〜SHORT

□サザンカの憎悪
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ぶるりと体が震え、寒さで目が覚めた。

目を開けると赤い花びらが目に入った。まるで赤いじゅうたんのように散らかった赤い花びらの上にうつぶせに倒れていた。

指を動かすとやわらかいすべすべとした花びらの感触がした。

起き上がろうと力を入れると、ぎしぎしと体が唸る。少しずつゆっくりと四肢に力を入れて、痛みをこらえてやっとのことで手を突いた。


着物からはらはらと花びらが落ちる。

着物は肩口から鎖骨にかけて真一文字に裂かれていて、その周辺は血でべったりと汚れている。その上に花びらが何枚か付着していて、動くと鱗が剥がれるようにぱらぱらと一枚ずつ剥がれ落ちていった。


右のこめかみから顎にかけて血が流れ、花びらの上にしたり落ちた。

額や肩だけでなく、指や腕にも細かい傷を負っているようだったが、痛みがあちこちにあってどこを怪我しているのか自分でも把握できない。


短く浅い呼吸を繰り返しながら、やっとのことで膝をつく。

呼吸を必死で整えながら、すぐそばに落ちていた鞘から抜かれたままの刀を手にした。刀身はべったりと血で汚れている。隣に転がっていた鞘も同じように血で汚れていた。

鞘を拾い上げるのに苦労して、やっとのことで刀を鞘に納めると、杖代わりにしてようやく立ち上がった。

額についた血を拭うのもやっとだ。


歩き出そうと一歩を踏み出そうとするが、その一歩がとてつもなく重い。鉛になってしまったかのような体をどうにかして動かす。

体を引きずるように花びらを踏み潰して、血で汚して歩いた。



サザンカの生垣に囲まれた大きな屋敷は過激派攘夷志士の隠れ家だった。

単身家政婦として乗り込み情報収集していたところ、小さなミスで間者だとばれてしまい、斬り合いになった。

家の中で乱闘になり、斬りかかってきた刀を奪い取り、家の狭さを利用してなんとか多人数相手に戦ったが、たった一人ではさすがに無理があった。

逃げ出すように庭に出たところで一撃を受け、気絶して今に至る。


連中は私が死んだと思ったのだろう。どうやらとっくに屋敷を抜け出したようで、人の気配はなかった。

残されたのは連中が流した血と敗れた着物に荒れた屋敷だけ。


連中にばれたとわかった瞬間、懐に入れておいた携帯の短縮ボタンを押したのだが、副長に繋がっていただろうか。

携帯を取り出そうと重い腕を懐に差し込むと、二つに割れた携帯電話が出てきた。諦めて携帯を取り落とした。


ずるずると体を引きずって歩いて、やっと屋敷の縁側までやってきたところで力尽きた。

膝から崩れ落ちるように縁側に腰掛けると、そのまま背中から後ろへ倒れた。手にしていた刀ががしゃんと派手な音を立てて地面に転がる。


肩の傷から痛みが消えかけている。そこは生ぬるくて気持ちが悪く、どくどくとうるさく脈を打っている。


重くなるまぶたを閉じると、四肢から力が抜け落ちた。

そうしてしまえばもう立ち上がることはおろか、指一本動かすこともできなくなった。なんとか気力でここまで歩いてきたというのに。

でも、もうどうしても無理だ。動けない。


しかし、体は動かなくても想像はできる。

もうすぐそこまで真選組は来てくれているはずだ。きっと助けに来てくれるはず。間に合う。
いいや、結局副長は私の電話に気づくことなく、このまま私は犬死するだろう。


自分の中に住む何人もの人間が会話をしている。

大丈夫だ。大丈夫じゃない。もう死ぬんだ。

そんな不毛な言い争いが続く中、確実に意識は遠のいていく。
きっと、もう一度気を失ったらもう目覚めることはないだろうという確信があった。


きっと、このまま死んでいくんだ。



はらりと頬に何かが触れた。やわらかく滑らかな感触。

もう一度懇親の力を振り絞ってまぶたを押し上げた。

眼球だけを動かすと、すぐそこに赤い色。
サザンカの花びらが、風に巻き上げられてここまでやってきたのだ。

風に揺れるサザンカの花びらが頬をくすぐる。まるで起きろ起きろと言っているようだ。
こそばゆい感触に体がうずく。指先がぴくりと動いた。


もう少し。あと少しだけ、死ぬのはお預けだ。


もう一度指に力を込めた。体の奥からどうにか力を引っ張り出してきて、深く息を吸い込む。すると、体のあちこちに痛みが戻ってきた。

歯を食いしばって体に力を入れる。手をついて上体を起こすと、頬に乗っていたサザンカの花びらがはらりと膝の上に落ちた。

震える指で頬をかいてから、足元に転がっていた刀を取った。ぬるりと柄が手の中で滑る。ぎゅっと握り締めるとかたかたと刀が震えた。


痛みに声を漏らしながら立ち上がった。
それだけで息が上がったが、まだだ。まだ死ねない。

言い聞かせて膝を伸ばした。

もう力は出し切っている。それでも、意思の力だけで動いた。



なんとか縁側を通って、玄関までやってきた。
戸を開けると冷たい風が吹き込んできた。

玄関までサザンカの花びらがそこここに散らかっていて、それらが風が吹くたびに踊った。

一瞬でも力を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうだ。がくがくと震える膝を叱咤して、外へと一歩踏み出した時だった。



「やっと出てきやがったか」


くつくつと笑う声に顔を上げた。
サザンカの花びらを踏み潰してこちらに歩いてくる男の姿を認めて、息を止めた。


煙管片手に妖艶な微笑を貼り付けた男は、この屋敷の持ち主である、鬼兵隊を率いる高杉晋助。

屋敷に住んでいたのは鬼兵隊の下っ端だけで、普段は屋敷に姿を現すことはなかったのだが、どうやら逃げた下っ端たちが高杉に間者がいると伝えたのだろう。

まさかこうして高杉が出向いてくるとは思ってもみなかった。間者だとばれるまで散々高杉の行方を追って情報収集していたというのに、今になって現れるとは。


想定外の出来事に震えが止まり体が固まった。
身動きの取れなくなった私とは反対に、高杉は足早にサザンカの花びらを蹴散らして私の前までやってきた。


「ここまで手負いでまだ動くとは。恐れ入ったぜ」

「ここのやつ等に呼ばれて来たのね」


掠れた声で問うと、高杉は目を細めて吐き捨てるように言った。


「逃げ帰ってくるような負け犬に用はねー。奴らなら斬り捨てた」

「……私も斬りに来たのね」


柄を握る手が再び震え始める。立っているのもやっとだというのに、戦えるわけがなかった。このままあっさりと斬り捨てられて終わってしまう。


「殺すならさっさと殺せばいい」

「放っておいても死にそうだがなァ」


高杉は手にしていた煙管を放り捨てると、私の顎を掬い取るように掴み、まじまじと私の顔を眺める。

抵抗するどころか、腕を上げることさえも出来そうになかった。命乞いをする程舌も回らないだろうし、命乞いしたところでどうせ死ぬ。

唇を噛み締めて、高杉の片目に憎悪を込めて睨み付けた。
すると、高杉は満足したようににやりと微笑み、抜刀した。


刀を振り上げると風を斬る音がして、風で舞い上がったサザンカの花びらが刃に触れて真っ二つに切れた。

目を見開いた。
自分の首が撥ねる瞬間をこの目で見るためだった。


舞い上がる赤い色の花びら。右から真横に流れるように振り下ろされた光る刃。


しかし、それは寸でのところで止められた。


顎にかかった手はそのまま。
肌に触れずに止められた刃に視線をやった後、どういうつもりだと視線を上げると、高杉は笑った。


「気に入った」


一言、高杉は手にした刀を鞘に納めると、私が杖代わりにしていた刀を蹴り飛ばした。
がくんとバランスを崩して倒れかけた私を、高杉の両手が支えてそのまま抱きしめる。そして、無抵抗のままの私を肩に担ぎ上げた。


「何を……!」

「こんな肝の据わった不死身な女ははじめてだ。連れて帰る」


驚いて声も出なくなった私に、高杉は一笑して歩き出した。


「お前のせいで下っ端が全滅だ。その穴埋めはお前がしろ。真選組なんだろ?俺の情報ならいくらでもくれてやる。その代わり、お前の身は俺が引き受けた」


ため息が漏れたと同時に、残っていた全ての力が抜け落ちた。


もう、だめだ。


憎悪と諦めを抱きながら、高杉の声を聞いた。


「まあ、それもお前が船に戻るまで生きていたらの話だがなァ」


くつくつと笑う高杉の声を聞きながら、憎悪を膨らませる。

こうなったら、どんな方法を使ってでも生きて、いつかこの男の首を撥ねてやる。


そう心に誓って、踏み荒らされて黒くなったサザンカの花びらに憎悪を落とした。









120312

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