after dark

□薔薇の残涙
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梅雨入り間近の午後23時10分前。
地下鉄の階段をのぼりきると、真っ暗な闇を照らす繁華街のネオンが眩しく感じた。私は目を細めて辺りを見渡す。

キャバクラやカラオケ、居酒屋の店員達が行き交う人に呼び込みをかけている。呂律のまわっていない酔っ払い達が飲み屋の前で座り込み、その前をかばんを振り回している若いOLと困ったようにOLをなだめる若いサラリーマンが歩いて行った。
居酒屋から出てきた若者二人が舌打ちして彼らを一瞥する。
カラオケから出てきた学生らしき若い男女は、次行く店の相談をして私の横を通って地下鉄の階段を軽やかな足取りで駆け降りて行った。

湿気を孕んだ温い空気を吸い込んで、私は駅前のカラオケ店の前に設置された防犯カメラの位置を確認してから歩き出した。その背に、ちょっと待ってくれと声がかかる。

通行人に邪魔にならないように歩道の端に寄ってから振り返ると、50代後半の小太りの刑事は少し遅れて私に追いついた。

彼は所轄の強行犯係の刑事で名前は蒲田という。
髪が後退して広くなった額からは汗が流れ、はあはあと息をきらしてハンカチで汗を拭った後、すまないと言って立ち止まった。
呼吸を整えてから丸めていた背を伸ばすと、彼は眉を下げて申し訳無さそうに私を見た。


「大丈夫ですか?」

「若いもんについてくのがやっとだ。情けないもんだよ」

「若いって、私もそう若くないですよ」

「今年で何歳だ?まだ30くらいだろ?俺からしたら充分若いもんだよ」

「30過ぎた女性に年齢聞いたらダメなんですよ」

「そいつは悪かったが、あんた汗一つかいてないのな。新陳代謝が悪いんじゃないのか?」

「そんなことはないと思いますが」

「俺ばっか汗だくでばかみたいじゃねえか」


蒲田はハンカチで顔を覆うように汗をふいてから歩き出した。
隣に並んで歩き出した私に、蒲田はしかし、と低い声でため息混じりに言った。


「あんたはどう思う?今回の事件」


蒲田は捜査が前に進んでいないことへの落胆を隠さずに聞いた。
私は眉根を寄せて考え込む。




都内で殺人事件が発生したのは今から約二ヶ月前の4月7日土曜日のことだった。

S区の空き家の玄関先で女性の遺体が発見された。
被害者は都内のS区の消防署に勤務する23歳の救急救命士であった。

遺体発見から一週間前の土曜日。
被害者は友人の結婚式に出席するために有給休暇をとっていた。その日結婚式の二次会に出席した後、駅前で23時に友人たちと別れてから行方不明になった。

翌日職場から上司が電話しても繋がらず、勤務態度が真面目である彼女が無断欠勤をするとは思えなかった上司は、同僚の女性消防士に頼んで自宅に様子を見に行ってもらうことになった。

被害者は消防署から徒歩5分のマンションの一室に住んでいた。同僚が昼休みに訪問してみると、インターホンを押して呼びかけてみても反応はなかった。

心配した同僚がその日の内に被害者の実家に連絡すると、被害者の母親が夕方マンションに行きスペアキーで鍵を開けて部屋の中に入った。そこに被害者の姿はなかった。

母親は、その日の内に結婚式に招待した友人の新婦に連絡した。娘と連絡が取れないことを話し、最後に別れた友人の連絡先を聞いて直接話を聞いたが、二次会以降誰も被害者の行方を知るものはいなかった。

被害者は救急救命士になってから遅刻もせず欠勤もしたことが無い。真面目で優等生で落ち着いた性格で、昔から何かあれば母親によく相談していて、最近悩みを抱えている様子はなかったという。
現在は一人暮らしをしていたが、結婚式当日も日付が変わる前には帰宅するつもりだと前日母親に電話で話していた。

二日後に被害者の両親は失踪届を警察に提出。
それから三日後の4月7日土曜日の午前7時過ぎ。犬の散歩に通りかかった近所の老人によって、被害者は空き家の門扉を開けた玄関先で遺体となって発見された。

仰向けに倒れていた被害者は、失踪当日着ていたフォーマル用の紺色のワンピースを身につけて黒いヒールを穿いていたが、ワンピースの上から羽織っていた光沢のあるストールとコットンパールのネックレスは身につけておらず、持っていたハンドバッグが傍らに置かれていた。

被害者に性的暴行を受けた痕跡はなかったが、両手両足を拘束された痕が痣となって残っていて抵抗した時に出来たであろう擦り傷もあった。そして同様の痕が首にも残されていた。

被害者は絞殺されていた。
検死官によれば凶器は3センチ幅の平の紐、革紐や細いベルトなどではないかとのことだった。恐らく手足を拘束していたものと同じものと見られた。

遺体発見場所の空き家は、五年以上放置され玄関や勝手口は鍵がかかっており、錆てしまった雨戸もきっちり閉まっている。誰かが空き家の中に入った形跡はなかった。
空き家を囲む塀の内側には高い雑草が生い茂っており、それは狭い庭から勝手口までまっすぐ天に向かって隙間なく生えている。唯一雑草がないのは、玄関前から門扉までの石畳が敷かれた部分だが、人が争ったり侵入した形跡はなかった。

現場の状況からして、殺害場所は別だろう。
死亡推定時刻は遺体発見前日の6日金曜日の朝7時頃。
被害者が二次会の帰りに何者かに拉致された後、どこかに監禁され七日後に絞殺。後に空き家に遺体を遺棄したと思われる。


そして、異常な事が一つあった。


被害者の口の中に、一輪のピンク色の薔薇が押し込められていたのだ。


ただの殺人事件ではないと捜査本部が設置されてから更に三週間後の4月28日土曜日。再び同様に口内に薔薇が押し込められた遺体がS区で発見された。


第二の被害者が発見されたのはS区の空きビル前にあるごみ捨て場であった。第一の遺体発見場所から車で15分程の場所だ。

被害者はS区の繁華街の雑居ビルの一室を借りてネイルサロンを開いている25歳のネイリスト。
友人が多く休日は友人とバーベキューやサーフィンに出かけ、週末はネイルサロンの近くにあるボクシングジムに通う、おしゃれが好きな明るく活発な女性であった。

被害者は21時過ぎに仕事が終わりネイルサロンを閉めて雑居ビルを出ると、一階の美容室で閉店作業をしていた顔馴染みの従業員に挨拶をして、いつものように駅に向かって歩いて行ったのを最後に行方知れずになっていた。

第二の被害者の実家は長野県にあり、両親とは頻繁に連絡をとっていなかったのもあって失踪届けは出されず、遺体が発見されたのは行方知れずになってから一週間後の夕方17時。道を挟んだ所にあるオフィスビルの清掃を請け負っている清掃業者が、ゴミを捨てにきて遺体を発見したのだ。

空きビルで発見された遺体は、ほぼ第一被害者と同じような状態であった。
失踪当日着ていたセットアップのカーキ色の長袖のブラウスとパンツを身につけ、ヒールの高い黒いパンプスを穿き、腕にはゴールドのシンプルなブレスレットをつけていた。
そして仕事用にいつも持ち歩いている革の黒い鞄が傍らに置かれていた。

被害者に性的暴行を受けた形跡はなく、仰向けに遺棄された遺体の両手足には拘束された痕と擦り傷。首には絞殺痕があった。

死亡推定時刻は遺体発見の前日の金曜日の朝7時頃。
遺体発見の朝6時半頃にごみ処理業者がごみの回収に来た時には遺体がなかった事から、今回もまた殺害後遺体を空きビルに遺棄したとものとみられる。

一つ違ったのは、口内に押し込められた薔薇が第一被害者の時は蕾が開き始めた程度だったものが、第二被害者の花は五分咲き程度に開いていたことだ。




 
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