2008 SHORT
□人に還る場所
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「土方はん、河合はんを斬らはったとか…」
見回りの帰り、島原の揚屋、角屋へとやって来た俺と近藤さんはいつも通り芸者を呼び寄せ酒を酌み交わしていた。
俺の隣で酒を注いでいるのは、いつも俺が指名するまだ若い芸妓。近藤さんが呼び寄せたのは、島原でもナンバー1の位置にいる太夫。
近藤さんと太夫はすっかり二人の世界に入っていて、俺と芸妓の存在を忘れて話に夢中のようで、俺の隣でにこりと笑って言い放った芸妓の物騒な発言も聞こえなかったようだ。
「誰から聞いたんだ?」
「昨日角屋に来はったお客様から聞いたんどす。土方はんは相変わらず鬼みたいな人やて皆恐れてます」
「それくらいでなくちゃ。副長がナメられたら終わりだからな」
「そやかて、土方はんはやり過ぎやて皆さん言うてはりましたよ?」
「んなのは関係ねェよ」
「河合はんを斬らはったんも、局中法度が厳しすぎるのも、度が過ぎてる。あのお方は冷徹やて」
「それくらいやらなくちゃ、あんな荒くれものの集まりをまとめあげる事なんて出来やしねーよ」
へえ、と小さく言った芸妓が酒を勧める。俺は猪口を取って一気に酒を喉に流し込んだ。
「やっぱり、土方はんはさぞおモテにならはるんでしょうねェ」
突然言った芸妓を見やると、彼女はにこりと笑って空になった猪口に酒を注いだ。
「突然なんだ?」
「土方はんはお酒を何杯飲んでも顔が赤くならはりまへん」
「そんな理由で俺がモテると?」
「いいえェ。うちが言いたいんは、土方はんには隙が見当たらへんゆうこってす」
「隙…?」
へえ、と芸妓は頷く。
「何をしてる時でも、土方はんには隙がありまへん。きっと寝てる時も気をぬかんのとちゃいますかァ?」
イタズラな笑みを浮かべて芸妓が聞く。
「武士っつーのはそういうもんだろ」
「うちには、土方はんには安らげる時っちゅーもんが無いように見えます。いつでも気を抜けずに常にピリピリして、鬼から人に戻ることが出来ひん。そやからおかしなって局中法度なんて作ってしもたり、会計方の河合はんを特に理由もなく斬ってしもたんや」
少し驚いて芸妓に目をやると、彼女は相変わらずにこりと笑ったまま俺を見ていた。
「鬼の副長はんも、安らげる場所くらい作らはった方がええと…うちは思います。そうしてたまには人に戻らへんと、自分を見失ってしまいます」
「その安らげる場所っつーのは、一体どこにあるんだよ?どうやって作るものなんだ?」
意地悪く聞いてやると、芸妓は真っ直ぐ俺を見据えた。
「そうですねェ…とりあえず、この先ずっとうちを指名してくらはったら、きっと見つかるんやないどすか?」
またイタズラな笑みを浮かべて芸妓はあっけらかんと言い放つ。俺は呆れを通り越して、感心して声を出して笑った。
「平気で同志を斬り捨てたり、厳しい法度を定めたり、そんなイカれた鬼を客に取ろうなんて、お前の頭も相当きてるな。……そういえば、それと俺がモテると言った理由は関係あんのか?」
「へえ、どないなお客様にも心が揺れなかったうちの心を揺るがす程に冷たいお方は、さぞおモテにならはるんやないかと、そう思ったから言ってみただけどす」
「まったく…お前は読めない奴だな。言っておくが、お前みたいな奴に隙を見せる気も、お前みたいな芸妓を囲う気もねェからな」
「あらま、そら残念どす」
全然残念そうに見えない芸妓に呆れて、俺はまた笑った。
「あら、土方はん…今、少しだけ人間に戻ってはりますよ」
(史実的土方)
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