2008 SHORT
□同じ体温を持つ者
1ページ/1ページ
音を立てて降る雨。
その大粒の雫に身を隠し、その雨音で気配を殺し、その土砂降りで罪を消し、血を流してきた。
ぽたぽたと水滴が着物から零れ落ち、肌に張り付いた濡れた着物が体温を下げ、濡れた髪の毛が肌に這う。
玄関でぴったりとくっついた着物を剥がそうと裾を持ち上げた時、人の気配がして、思わず腰に刺さった刀の柄に手を添えた。
「物騒なものだ。こんな時間に、殺しですか」
ゆっくりと声のした方へ探るような視線を送る。ひたひたと音を殺して、真っ暗な玄関に現れたのは、伊東だった。
こんな場面をこの男に見られるとは、胸糞が悪くて舌を打ちたくなるが、どうにか喉の奥で堪えた。
それにしても、はっきりと“殺し”という単語を吐き出すなんて、嫌がらせのなにものでもない。相変わらずこの男は私の事が気に入らないらしい。
「こんな時間に、そちらこそ深夜徘徊だなんて、不気味ね」
「君に言われたくない」
「それはこっちのセリフ」
ふんと鼻を鳴らして、柄から手を離した。顔に張り付いた髪の毛をはらって、髪の毛に含んだ水滴を絞った。すると、自分の足元に水溜りが出来た。
外は相変わらず土砂降りのようで、激しい雨音が少しうるさい。
「何か用?」
いつまでもいなくならない伊東に視線も合わさずに聞くと、伊東はいつもの口調で言う。
「今回は誰を殺してきた?僕の門下生ではないだろうね?」
はっと息を吐いて伊東を見上げると、伊東は冷め切った視線を私に落としていた。その視線は紛れも無い軽蔑の眼差しだ。
「違うから安心して」
そう言ったが、伊東は相変わらず冷めた視線で私を見下ろしていた。
伊東のこの視線が嫌いだった。
誰も信じようとしない。自分はこの世界で独りきり。
誰も見ようとしない。自分以外の人間は屑だとでも言いたげなこの視線が。
「何か言いたげだね」
「そっちこそ。私の事軽蔑してるんでしょ」
「もちろん。あの土方の命令で動いている君だからね」
「土方の命令を受けているなんて、思われたくないけどね」
「僕は土方が嫌いだ」
「誰でも知ってる」
「その土方と一緒にいる君も」
「それも知ってる」
冷めた視線を投げれば、それに応えるように伊東も同じくそれだけ視線を冷やしてくれる。
不思議と、この男とはこういうところでは気が合うから嫌になる。
「それが何?」
呆れて言うと、伊東から思いがけない言葉が吐き出された。
「嫌いなのは君ではない。君のその、薄っぺらな仮面が僕は嫌いなんだ」
わずかに目を見開けば、伊東は少しだけ満足したようにメガネを上げて、そうして無表情に言った。
「そんなちんけな仮面、しているくらいなら被らない方がいいというのに」
呆れたように吐き捨てて、伊東は私に背中を向けた。
この男だけには、言われたくなかった。
この男だけには、気付かれたくなかった。
だが、この男は知っていた。気付いていた。
それが何より悔しかった。屈辱だった。
歩き出した伊東の背中を思い切り睨みつけて、私も言ってやった。
「本当に欲しいものが何なのかも言えないような奴に、死んでも言われたくない」
わずかに伊東が動揺したのが、闇を伝って分かった。それで、私は小さく溜め息を吐き出した。
これじゃあただの傷の舐め合いだ。こんな男と傷の舐め合いだなんて、冗談じゃない。
「「だから嫌いなんだよ」」
それでも、この男と話していると、雨に奪われた体温が少しだけ戻ってくる。うるさい雨音も気にならなくなる。
それに気付いて胸糞が悪くなって、今度は盛大に舌を打った。
L O S T