2008 SHORT
□優しい夜
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磨き上げた刀に自分の目がくっきりと映って、目が合った。しばらくその目を覗き込んでいると、ふと声がした。
「ねェ?そんな危ないもの、しまって」
甘ったるい声がして、ぬっと寝室に顔を出したのは、遊女。長ったらしい着物を着崩して、うなじを大きく見せた遊女は、にっこりと笑った。
「なんだ、いつまでも現れないからもう来ないかと思ってた」
「ちょっと、面倒なお客さんがいてね…ごめんなさい。私にはあなただけだから」
きゅっと自分の首に抱き付いて来た遊女の背中に手を回し、抱き締める腕に力を込めると、嬉しそうに遊女は笑った。
「ここに来るお客さん皆ね、当たり前だけど…下心を持って来るでしょう?」
「ああ…」
「遊郭は禁止されているのに、隠れて営業していて…お客さんも違法だと知っていてやって来る。…私達の体目当てに。だけどあなたは…ちょっと、回りのお客さんとは違うな」
ゆっくりと背中をさすりながら、遊女は俺の肩に頬を寄せた。
「だって、あなたは私を抱く時、酷く悲しそうだもの」
俺は驚いて一瞬声を失ったが、誤魔化す様にそうかと呟いた。
遊郭に来て彼女を指名するのは、己の欲求不満を解消するためでは無い。客に潜り込んでいる攘夷志士の情報を引き出すため。それだけのために彼女に会いに行くのだ。
それが任務だから。それが一番てっとり早い情報収集だから。
…
「どうした?」
深夜。任務から帰って、中庭で独り夜空を見上げている、俺の背中に声をかけたのは山崎だった。
「ああ…ちょっと月を探してる」
縁側にあるつっかけを履いて降りて来た山崎は、俺の隣りに並んで空を見上げた。
「曇ってるから、見えないんじゃないか?」
「ああ…」
夜空は雲に覆われて、真っ暗。月も見えなければ星も見えない。闇に包まれた夜空に、浮かぶものは黒い雲のみ。
「山崎」
「ん?」
「歯痒いよな」
無言で俺の横顔に視線をやる山崎を見ずに、続ける。
「時々…嫌になるよ」
誰も傷つける事無く、思い通りに行けばどれだけ楽だろう。だけどそんなにも、事はスムーズに運ばない。
彼女だって、救えない。違法だと知っているのに取り締まらない。攘夷志士を捕まえるために遊郭を見逃して、情報収集のために利用している。
「自分の汚さに。俺は、自分が……」
もう立派な大人で男なのに、泣き出しそうだった。
「嫌いだ」
そう嘆くと、山崎は俺の横顔から夜空に視線を移した。
「俺は、お前と一緒に密偵やってる自分は、まぁ…いいんじゃないかと思ってる」
はっとして山崎の横顔を見ると、山崎は俺を見返して笑った。
「俺は真選組の密偵であり一人の男であるお前が、嫌いじゃない」
忘れてはいけない。いつだって側には仲間がいるってことを。
「優しすぎるんだよ。お前は」
山崎が言った。俺はもう一度夜空を見上げた。雲の切れ目に、月がちらりと覗いて俺達二人に意味ありげに輝いて見せた。