2008 SHORT
□CHOCOLATE
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2月14日。
この日のために、私がどれだけのデパートを回り、どれだけの死闘を潜り抜けてきたかなんてきっと弟は知らないだろうし、知ったとしても、それがどうしたという顔をするのだろう。
わかっていても、それでも弟にチョコレートを渡したいという想いは変わらないまま。
それにしても、デパートでは全敗だから何も偉そうな事を言えたものではないのだが。
とにかく、このままチョコをゲットできないと、14日に間に合わない事は確かだ。しかし、デパートのチョコ売り場ほど危険な場所はない。ぶっちゃけもうあそこには近寄りたくない。
デパートに行っていいチョコを買えないのならば、作れば?とお思いだろうが、私がチョコを作るだなんて事は、不可能だ。
それはもちろん、私の好きな相手が、同じ家に住んでいるからだ。
私がキッチンに立ってチョコレートなど作ろうものならば、父は大騒ぎするだろうし、継母にも誰にあげるの?なんて聞かれてしまうかもしれない。それだけは避けなければいけない。
なにより、弟に私がチョコを作っているところを見られるのが嫌だった。
だけど、やっぱり手作りチョコを作ってあげたいな、なんて想いもあったりする。
「それならさ、うちで作れば?」
バイト中、ためしに店長に相談してみると、嬉しい答えが返って来た。
「14日当日になっちゃうけどさ、昼休憩使って作って、夜までに固まるようにしておけばいいからさ」
「いいんですか?」
「もちろん。好きな人のため、なんでしょう?」
にこにこ顔の店長に、顔が赤くなる。それでも、はい、なんて恋する女の子みたいに言った自分が、自分でも信じられなかった。
そんなこんなで、手作りチョコを諦めていた私も、チョコレートを作ることになったのである。
そして、14日当日。
その日私は早番で、朝の7時から出勤だった。それでも、バイトに行く途中にコンビニで板チョコをたくさん買い込んだ。
準備は万端。ラッピングペーパーもリボンも買った。後は作るだけだ。
朝から張り切ってバイトをして、そして昼休憩になると、キッチンの隅でチョコレート作りに明け暮れた。
店長が傍についていてくれるということで、頑張ってトリュフに挑戦した。
足りない材料は店から出してくれて、それで私はなんとかチョコを作ることに成功した。
「楽しみだね」
にこにこ顔の店長に、私はまた乙女みたいに顔を赤くする。
それにしても、今日はうるさい桂君がいなくてよかったと心底思った。
桂君がいたら、きっと一口くれだの誰にやるんだだのうるさくてうざくて、とにかくあの世に送ってやっていた事だろう。
そんなこんなで、あっという間に帰る時間になった。私は急いでタイムカードを打つと、ロッカールームで着替えて、チョコを持って、早々と店を後にした。
弟はなんて言うだろう。受け取ってくれるだろうか。
今日は継母と父は二人で食事に行くそうだから、何の心配もいらない。
期待と不安を抱いて、家路を急いだ。
「ただいまー…」
家の玄関を上がって小さく言うと、おかえりーとリビングの方から弟の声が返って来た。
弟は帰っている。
ちらりと時計を見やれば、五時を回ったばかりだ。
ドキドキしながら、鞄の下にチョコレートを隠すように持って、リビングに入った。
すると、そこにはいつものようにソファに座っている弟がいた。
当たり前のことなのに、それだけで動揺してしまう。弟と私以外誰もいないはずのリビングを見渡して、本当に誰もいないのかを確認する。
もちろん誰もいない。
確認を終えて、ゆっくりとソファへと近付くと、ある物が私の目に飛び込んできた。
「総悟、くん。それ…」
それは、リビングの机の上にどっさりと大量に置かれていた。
その何かは、綺麗に可愛らしくラッピングされて、どれも私のを食べて!と主張している。
中にはハート型のものや手紙付きのものもある。もしかしたら、媚薬入りなんてものもあるかもしれない。
それくらい、それらは自己主張の激しい物ばかりだった。
もちろん、その何かとは言わなくても分かるだろう、チョコレートだ。
「もらった、の?」
「ああ。今日はバレンタイン司教が殺された日ですからねィ」
「…そ、そうなんだ…ははは」
からからに乾いた口から出た作り笑いに、弟は無表情で首を傾げる。
「どうしたんですかい?姉さん」
「え?」
「俺がモテモテって事、知らなかったんですかィ?俺非公認のファンクラブがあるくらいなんですぜ?」
「えええ?!そ、そんなのあるの?!」
「もちろんでさァ」
ガーンといつの時代だという衝撃音が私の中で何度も打ち鳴らされる。
ショックを受けていると、弟はふふんとそれはそれは楽しそうに笑った。
「でも、俺はこんなもんいらないんで、姉さんに全部あげやす」
「え?」
「こんなもん、貰っても嬉しくないんで」
「ちょ、チョコレート嫌い?」
「ああ。大嫌いでさァ」
ガーン。二度目の衝撃が私を襲う。
それじゃあ、今私が手に持っている、必死で作ったトリュフも、全部水の泡というわけ?
そんな、嫌いだなんて知らなかった。
だって、前にチョコボール食べてなかった?アイスだってチョコ味よく食べてなかった?
嫌よ嫌よも好きのうち?じゃなくって、その逆?何言ってるか分からなくなってきたよ。
このチョコ、どうしよう…
「姉さん」
あーだこーだ考えていると、いつの間にやら弟が私の目の前にやって来ていた。驚いてわっと声を上げた拍子に、コントのようなタイミングで鞄が床に落ちる。
ドサリと落ちた鞄の下からひょっこりと顔を見せたチョコレートの包みが、弟の顔を見上げている。
どんなタイミングだ。これならば、上からタライが落ちてきてくれた方がましだ。
「…へ」
妙な声が洩れたが、そんな事はどうでもいい。ば、ばれた…どうしよう。
恐る恐る弟の顔を伺うように見上げると、弟は面白そうに笑っていた。
「こんなこったろうと思いやした」
「え?」
「姉さん、絶対チョコ買ってくるだろうと思ってねィ。ちょっといじめてやりたくなって」
ガーン。色々な意味で衝撃が来て、ぽかんと口を開けていると、弟は落ちたチョコを拾い上げて、びりびりと包装紙を破り始めた。
どうやら受け取ってくれるようだ。
それにしても、貰ってくれるのはありがたいが、人が折角丁寧に包んだんだから、もう少し丁寧に解いて欲しいと思っていると、弟は、箱の中からトリュフを一つ取り出した。
「手作り?」
「お店で、作ったんだ…」
「ふうん」
弟は、トリュフを口の中に放り込んだ。
ドキドキしながら、リアクションを待っていると、弟は口を動かしながらも、トリュフを一つ掴んで、それを半ば無理やり私の口の中に押し込んだ。
「ぐむ!」
「姉さんも食べなせえ」
無理やり押し込まれたチョコの、甘い香りと味が口に広がる。
「どうです?」
まるで自分が作ったかのように聞いてきた弟に、美味しいと微笑むと、弟はにこりと微笑んだ。
「うん、美味いですぜ」
弟はそう言って、チョコ味の私に口付けた。
090213 ハッピーバレンタイン!