2008 SHORT
□近付く別れの時
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父の、怒りを滲ませたその表情を見るのは、いつぶりだろう。
中学生の時、親の離婚に反対して、怒鳴られた時以来?それとも、高校の進学でもめにもめた時?高校を出ても就職も進学もしないで、フリーターをやると決めた時?
いや、父のこの怒り様は、きっと生まれてはじめて見る。そのくらい、父は怒っていた。
「どういう事なんだ!きちんと説明しろ!!」
大声で叫ぶ父の顔は真っ赤で、ぶたれた頬はじんじんと痛んだ。
弟は、無表情で流し台の前に立って、こちらを見ていた。何も言わない。
ヤバイ状況だった。
それでも、体中の血管が沸騰しそうなくらい、私も怒りに満ちていた。
どうして父にそんな言われ方をされなくてはいけないのかという思いと、父が弟を殴った事が怒りを呼び起こしていた。
「どうしてお父さんにぶたれなくちゃいけないのよ!そっちだって、説明なしで私の意見なんて聞きもせずに結婚したじゃない!そんな勝手な人にそんなこと言われる筋合い無い!!」
体中が熱かった。こんなにも感情的に怒りをぶつけた事、今の今まで生きてきて一度もなかった。そのくらい、私は怒っていた。
話は少し前に戻る。
その日の夜、いつものようにバイトから帰ると、リビングには弟が私服姿で、ソファに横になってテレビを見ていた。
今日も父と継母は仕事で遅い。だから、今日も私と弟は二人きりだ。
「おかえりなせェ」
「ただいま」
「どうしたんですかい?」
「何が?」
「そんな嬉しそうな顔して」
それはもちろん、弟と二人きりなのが嬉しいからだ。私たちは、ようやく両想いになったのだから。
「ちょっとね」
誤魔化すように言って、キッチンへと向かう。今日は継母が作ってくれたカレーの残り物があるはずだった。冷凍保存されているはずのカレーを取るために、冷凍庫を開けようと手を伸ばした時、後ろから弟に抱きしめられた。
「そ、そ、総悟くん!」
心臓がはじかれたように早く鼓動を打つ。顔が熱くなるのが分かり、伸ばした手を力なく降ろした時、弟が耳を軽く噛んだ。
ひっと声を出すと、弟は面白そうに笑って、私を振り向かせた。
「真っ赤ですぜ、姉さん」
「だ、だって…」
「ホント、面白い人でェ」
そう言って私の唇にキスをした時だった。
何かが落ちる音がした。リビングの方からだ。
慌ててそちらに視線を向けると、そこには、父がリビングの戸の前で固まっていた。
しまった、と思ったがもう遅い。
見る見るうちに顔を真っ赤にさせて怒りの表情を露にした父は、ずかずかと大股で私たちの所までやってくると、まずは弟を殴った。弟は流れた勢いで流し台に背中をぶつけた。
「総悟くん!」
慌てて駆け寄ろうとしたところ、今度は私が手のひらでぶたれた。ぶたれた頬を押さえて父を見上げれば、父は怒りの表情を崩すことなく、肩で息をして、叫んだ。
「何をしてるんだ!お前達は、キョウダイなんだぞ!」
ぶたれたショックで呆然としていた私は、その言葉で我に帰り、ふつふつと怒りが込み上げてきた。
何より腹が立ったのは、父が弟をぶった事だった。
そして話は冒頭に戻る。
「それとこれと何が関係あるっていうんだ!自分たちが何をしてたのか、判ってるのか?!」
「わかってるわよ!そんなこととっくに分かってる!」
「だったら…!」
「何が悪いのよ?!好きになった人が、たまたま義理の弟だっただけでしょう?!お父さんに悪く言われる筋合いない!!大体、私たちを出逢わせたのは、勝手に結婚したお父さんたちじゃない!」
それを聞いた父が顔を更に赤くさせ、再び手を振り上げた。また殴られると思い目を瞑った時、ばしり、乾いた音がした。
しかし、一向に衝撃も痛みもこない。恐る恐る目を開けると、背中が目の前にあった。振り返って笑みを投げかけたのは、頬を赤くさせた弟。
「総悟、くん…」
代わりに、ぶたれてくれた。私を庇って間に入ってくれたのだ。
その弟の行動に一気に怒りがしぼみ、申し訳ない気持ちが体中に流れ込んできた。少しずつ冷静になりつつある頭。
父は、弟をぶってしまった事を後悔しているが、それでも怒りが消えないのか、相変わらず真っ赤な顔で私たちを見ている。
すると、この場で一番冷静であろう、弟が口を開いた。
「すいません、お父さん。でも俺、本気で姉さんが好きなんでさァ」
「総悟くん…君は、自分が何を言ってるか…」
「もちろんわかってます。その気持ちがいけない物だとしても、それでも好きなんでさァ」
それは弟から聞く、きちんとした私への告白だった。それを聞いて、熱くなる私の心。しかしそれとは反対に、頭はすっかり冷静になっていた。
私は父を真剣な表情で見上げる。
「お父さん、私も好きなの。総悟くんが」
はっきりと言ってみせたが、父は怒りと戸惑いで、どうしたらいいのか分からないようだ。何も返せずに、何か言おうとして口を噤んだ。
いくら好き勝手に生きてきた父だとしても、それでも私の父親。この人をショックにさせるような事をしてしまった。罪悪感が膨れ上がり、悲しくて泣きたくなった。
それでも、私は冷静な頭の中でせいいっぱい考えた。
そして、決めた。
「お父さん、ごめんなさい。驚いて当然だよね。でも、大丈夫…。私が、この家を出るから」
唐突に言ったそのセリフに父は大きく目を見開き、弟も驚いた顔で振り返った。
「だから、許して」
どうしてそんな事を言ったのか、と自分でも思ったけれど、弟を守るには、父を悲しませないためには、これが一番いいのではないかと、そう弱い頭で考えた結果だった。
090409