2006〜SHORT
□SHAMBOLIC
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一気に込み上げて来た嘔吐感をなんとか堪ようとしたが、俯いた瞬間吐き出した息と供に吐血してしまった。体は鉛のように重くて、口端についた血を手の甲で拭うのも酷く億劫だ。
それでも、俺は俯いていた顔をぐっと起こして、じっと今までの様子を見ていた土方を見上げた。
土方は無言で俺を見下ろしているだけだ。冷めた表情は、仕事用の顔そのもので、もはやそれは仲間に向ける眼差しではない。それも当たり前だと思い出して、自分を嘲るように笑みを零した。
どうやら俺は、あと少しの命だと自覚して、頭が混乱してしまっているようだ。なんと情け無い事か。
「今宵のお前はやけに緊張してるんだな」
いたずらな笑みを浮かべた俺に、土方は顔をしかめた。
「お前、今の状況でよくもそんな事が言えるな」
「だからこそ…だな」
思わず笑みを零した俺を、軽蔑するように見下ろしてくる同志。いや、もはや俺達は同志でも仲間でも無い。
「最期に一つ聞いておく。なぜ二重スパイなんかになった?」
「今更なんつー質問してんだよ?」
くくくと喉で笑うと、土方は俺の襟を掴んでぐいっと自分の顔に引き寄せた。土方の背後は曇った空で覆い尽くされている。今にも雨が降り出しそうだ、なんて呑気にも思っていると、案の定ポツリと俺の額に雨の雫が落ちてきた。
「言え」
冷えきった声だった。それは尋問する時の声色。それがまた可笑しくて、今度は心中で苦笑した。する側だった俺が、この様だ。
「相変わらずのクールにポーカーフェイスの副長。甘ったるいお人好しの局長。腹黒で、まだ子供の一番隊隊長。…まったく、真選組ってやつァ、ホントに狂ったとこだよな」
「何が言いたい?」
「そんな甘い世界に身を置いている自分が、怖くなったんだよ」
「何?」
雨が本降りになってきた。ザーザーと音を立てて降り注ぐ雨に打たれながら、俺はポツリと、でもはっきりと言った。
「そんな甘ったるい世界を壊そうと思ったんだ。…なぁ土方?知ってるか?」
じっと土方の瞳を覗き込んだ。土方の瞳は未だに冷徹なままだったが、その奥にはゆらゆらと何かが揺れているようだった。雨で濡れた土方の前髪を伝って、ぽつりと俺の顔に雨が降り注ぐ。
「何かを築くことよりも、壊す方がずっと楽で、傷つく事が少ないんだって」
襟を掴んだ手が、震えていた。寒さではない。雨のせいでもない。その震動が、土方の心の揺れ。
「お前は間違っている」
振り絞るようにして出した声が、雨音に雑じってかろうじて俺の耳に届いた。
知っている。
傷つける方も、傷つけられた方同様に傷ついている事を。
「そう思うのはお前の自由だ」
じっと見返した瞳。俺の目にはすでに迷いなんてものは無い。斬られる覚悟はとっくに出来ていた。
土方を裏切った時から
真選組に背中を向けた時から
潜入捜査で鬼兵隊に入り、連中に取り込まれた時から
道を踏み外した、その瞬間から
「なぜってお前は聞いたよな?それは…俺が臆病者だからだよ。質問はそれで終わりか?」
ふっと笑うと、襟を掴んでいた手がそっと離れた。立ち上がった土方を見上げると、土方は鞘から刀を抜いて、それをきつく握り締めた。振り上げられた刀がきらりと光って、土方の顔を照らした。
「何泣いてんだよ?」
苦笑交じりに吐き捨てた最後の言葉に、土方は刀を振り上げた。
SAD
HEARTBREAKING
ABERRANT
MAD
BAWL
OAFISH
LACERATION
ICILY
CAPRICE
ザーザーと降る雨音に紛れて、ばしゃばしゃと水溜りを跳ねる足音が耳に響いていたが、俺はそちらには眼も向けず、ただ雨に打たれて突っ立っていた。
『相変わらず甘い奴だな。そんな土方だからこそ、俺は裏切ったんだ』
最後に言ったあいつの言葉が俺の耳にいつまでも残っていた。
裏切りは、最大のご法度
あいつを逃がした俺もそんな裏切り者の一員だ。
しかし、あいつを逃がした事を、これから先後悔することはないだろう。
「おい、俺ァ泣いてねーからな。それから、死ぬなら切腹しろよ。侍だろうが…」
どれだけ裏切られても、裏切ったとしても、真選組の一員ならば…
侍らしく生き抜け!
SHAMBOLIC
それは、他人には到底理解出来ない様な、言葉に出来ない激情と変える事の出来ない生き様