2009〜SHORT

□懐かしむ、弓張り月
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「ミツバさん、置いていくの?」


背中を向けた男に問うと、藍色の浴衣を着た男は僅かに振り向いた。横顔が、月に照らされて影を作って、ここからでは表情がよく分からない。

縁側の下から男を見上げると、男は咥えたタバコを手にとって、煙を吐き出した。


「当たり前だろ」

「惚れた女を捨てるんだ」

「捨てるも何もねーだろ」


ふうんと呟いて、空を見上げる。ぽっかりと藍色の空に浮かんだ弓張り月が、無言で私たちを見下ろしていた。


「こんな時間に不法侵入してくれるな。さっさと帰れ」


煙草を咥えた男も、私と同じように月を見上げていた。何を思っているのか、誰を想っているのか、私のことではないだろうと、分かってしまう自分が、とても憎い。


「ねえ、私も置いていくんだね」

「当たり前だろ」

「そう…」


この男は、きっと表情を変えていない。どれだけ心の底で何かを思っていても、決して口に出さない。

腹が立つ。この男の、こういうところが、嫌いだ。


「置いていくというのならば、私も、好きにやらせてもらうから」


真正面から私を見下ろした男を、まっすぐと見上げると、男は僅かに目を大きくした。


「小さい時からずっと一緒で、今まで離れたことなんて無かったけれど、そっちが離れていくというのならば、文句は言わせない。勝手に決めたのはトシも同じ。だから、私も私の道を行くことにする」


今、決めたと呟いて、もう一度月を見上げる。男は何も答えなかった。ただ、私の足元から伸びた影に視線を落として、煙を吐いただけだった。







おい、と低い男の声がして、夢から覚めた。

ゆさゆさと肩を揺さぶられているのに気付き目を見開くと、高杉が私を見下ろしていた。


「襲撃の時間だ。さっさと起きろ」

「ああ…もうそんな時間か」


毛布を押しのけて起き上がると、高杉の手のひらが額に押し当てられた。高杉の指が、額から顎のラインをなぞるように滑る。


「汗をかいてる。うなされてたぜ、お前」


離れた手を目で追いながら、立ち上がった高杉にそう、と小さく返す。すると、高杉は無言で部屋の戸に手をかけた。


「今夜は弓張り月だ」

「え?」

「お前、いつも月を見てるだろ。今夜は月が良く見える」


戸を開けて出て行った高杉。布団から這い出して障子を開けると、高杉の言うとおり、空にはぽっかりと月が浮かんでいた。半分になった月を眺めながら、あの男の姿を思い浮かべる。

昔からの馴染みの男。
小さい時から知っているあの男。どうしようもなく荒れていたあの頃から知っている。

その、どうしようもなく荒れていたあの男をどうにか丸めこんだのは、近藤さんで、ミツバさんだった。

私は、ただあの男の傍にいることしか出来なかった。何も出来ずに、ただ一緒にいるだけ。
あの男が、私を置いていくのも、分かるような気がした。


「弓張り月…ねえ」


着ていた浴衣を脱ぎ捨てて、着物に着替える。汗をかいて張り付いた髪をまとめあげ、刀を腰に差した。今ではもう、この刀の重さもすっかり慣れてしまった。

昔は、刀なんて持たなくても、あの男が私の前に立って、守っていてくれた。けれど、今の私は逆だ。守る立場じゃなくて、奪う立場になった。

そうして、いつかはあの男の命さえも?


「いや…逆だ。私は、逆を望んでいるから…」


それ以上は飲み込み、私は部屋を出た。

暗がりの廊下で待っている高杉に歩み寄る。行くぞと呟いた高杉に頷いて、歩き出す。


「苦しいか。過去の記憶は」


高杉が言った。廊下の窓から差し込む月明かりが、高杉の影を長くする。高杉から伸びた影を踏みながら、その影が、いつか見た自分の影と重なって見えた。


「いえ、ただ…懐かしいだけ」


もう、あの頃には戻れない。

それを思うと、胸が苦しくなると同時に、笑みが零れた。

壊れた心も、もう元には戻らないのだろうか。






090712

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