短編2

□雨の日に
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 或る雨の日のことである。私は何時ものように出掛けた。持って居る鞄も、鞄の中身も同じ、扉に鍵を掛けるのも、門をきちんと閉めるのも何時もと同じだ。唯、傘だけが多い。
 傘で雨水を受け止めながら、何時もの道を何時もの速度で歩いて行く。ぴしゃぴしゃと、雨音が其の他の音を消して居た。目の先に、バス停が現れる。何時もは通り過ぎるだけの其処で、立ち止まった。腕を持ち上げ、腕時計に視線を落とす。目を上げてバスの時刻を確認し、再び視線を腕時計に遣った。未だ少し時間が在る。歩けば一つ二つ向こうのバス停まで行けるであろう。しかし雨の中を歩くのは億劫で、だからこそこうしてバスの時刻を確認して居るのだ。私は鞄の中から文庫本を一冊取り出した。
 文庫本に目を落として居ると、やがて排気の音を立てながらバスが遣ってきた。其処で私は慌てて文庫本に栞を挟む。バスの扉が開き、其処へ乗り込んだ。込んで居る、人が多い。椅子に座れそうな空きは無く、通路にも幾人か立って居る。狭い。奥の方の開いた場所へ移りたいところだが、入り口付近に溜まった人間が邪魔で移れそうも無い。私は両足を少し広げ、再び文庫本を開いた。
 バスが揺れる。動き出したのだ。私は意識を張り、倒れないようにと注意する。其れでも文庫本を辿る視線は変わらなかった。「次は――、」機械により拡大された声音が響く。太い男のものだ。
「次は――、」幾つか目のバス停を過ぎたころ響いた其の声音に、私は顔を上げる。其のバス停名は、私の降りるべき其れである。文庫本に栞を挟み、鞄へ仕舞った。バスの揺れが一瞬酷くなる、止まったようだ。
「済みません。」
 私は声を上げる。人を掻き分けながら、バスの出口へと向かう。
「済みません、降ります。」
 ようやっとの思いで出口へと辿り着き、金銭を支払う。傘を差して、ほうと息を吐いた。何時もの景色。木木も建物も何時もと変わらない。ぴしゃぴしゃと音が立つ。さて。





 ――さて、此処は何処だ。

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