短編2

□(聞こえて、)
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 ――あ、





 今のは、と。
 気づいて――目線をあげた。




(今のは、)


(――悲鳴、?)




 辺りを見回してもその場所は、ただただ静まりかえり、人の気配も何の気配もなくて。
 広がるしじまと、ゆったりと流れる時間。それだけが存在する、その場所。
 その世界を切り裂くように、微かに聞こえた悲鳴。




(微か、)


(けれど、)


(確かに、)




 それは、耳に――綾羽の元へと、届いた。
 微かな悲鳴、それは綾羽にとって日常となった音だった。気配のない、静かな世界、そんな世界でただひとつ、他の存在を感じられる音。
 断続的に綾羽の元までたどり着く、それだけが、綾羽の存在する証明。
 それの届かぬとき、綾羽は自分という存在すらないように感じて、心を閉ざして、再び届いた悲鳴に自分という存在を思い出すのだ。




(――あ、)


(また、)


(聞こえた、)




 日に何度、それを繰り返すのか。否、もしかしたら何十年に一度、なのかもしれない。
 綾羽には分からない。綾羽は、もう、時という概念すら忘れてしまったのだから。――はじめから、持っていなかったのかもしれないけれど。
 照りつける太陽も、冷たく見下ろす月も、光を隠す雲も、打ちつける雨も、積もり重なる雪も、微かな動きを与える風も、綾羽にとっては何でもなかったから。
 それは酷く当然で、緩慢に流れる時と同じようなもの。存在したとしても気づかずに、そのまま時は過ぎてゆく。





(また、)


(悲鳴、)




 綾羽は、そうやって生きてきた。
 永き時を、ひとりで。その場所には、綾羽以外の存在はないから。




(ひとり、)


(狂ってしまいそうなほど、)


(永い時を、)




 綾羽の世界で、存在するのは綾羽ひとり。
 断続的に聞こえる、悲鳴だけが綾羽の存在を確定させる。




(ああ、)


(また、)




 美しく刻まれた模様。羽のように広げられた枝葉。
 綾羽は、その世界でたったひとり。




(わたしはひとり、)


(ただ、)


(いつまでも、)


(途絶えることのない、)


(悲鳴を聞き続けるの)

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