短編2

□わたしはひとを殺したの。
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「ひとを、殺した?」
 わたしの顔は、今どうなっているのだろう。
 きっと引きつっているのだろう。顔の筋肉が硬直しているのが、分かる。
「うん」
 けれど彼女は、何でもないように答える。
 ず、と飲みかけのオレンジジュースをすすった。
「そうだよ、みぃ。わたしはひとを殺したの」
 フォークを手にとって、その三又に割れた先を白い生クリームの上に刺す。柔らかなスポンジをちぎって、口元まで持っていった。
「わたしはひと殺しだよ。ねえ、軽蔑する、みぃ?」
 白い生クリームに飾られたケーキ。それが彼女の口の中へと消えた。
 彼女の瞳が、わたしの目を見詰めている。ああ、わたしは何と答えたらいいのだろう。
 ごくり、と喉が鳴った。
「ねえ、みぃ。聞いてる?」
 可愛らしく小首をかしげる彼女。わたしは、声を絞り出すためにもう一度喉を鳴らした。
「ちぃ、本当に?」
 んふ、と彼女は声を漏らした。目が細められる。
「そうだよ、みぃ。さっきから言ってるでしょ?」
 わたしは、ひとをころしたの。
 彼女はゆっくりと、そう言った。
「……なぜ?」
 わたしのその問いに、彼女はぱちくりと目を瞬かせる。
 驚いているように、わたしには見えた。
「なぜ?」
 んん、と彼女は少し考え込む。視線があちらこちらへとさまよって、フォークを持った指が動く。
 カン、とフォークが皿に当たって音を立てた。
「なぜ、って。殺したかったからかな、多分」
 そう、と、彼女はにっこりと笑った。
「わたしはひとを殺したかったの、みぃ。だからわたしは殺したのよ」
 それは極上の笑みだ、とわたしは思った。
 今までわたしが見た彼女の、どの笑顔よりも笑顔らしい笑みを刻む顔。
「誰、を?」
 彼女は再びフォークをケーキに刺す。
「知らない。その辺のひと」
 わたしは、彼女のその言葉に目を丸くした。知らない。つまり、無差別殺人?
 彼女のフォークが口元へと持っていかれる。
「知らない、って――その辺のひと、ってこと?」
「そ。わたしね、朝起きて思い立ったのよ。今日家を出て一番に会ったひとを殺そう、って」
 ころん、と彼女のケーキから苺が落ちた。白い皿に、みずみずしい赤い色の苺。
「どうして?」
 彼女はフォークを皿の上に置いた。
「わたしね、前々から思っていたの。ひとを殺したい、って。――ううん」
 オレンジジュースのグラスが彼女の手の中に納まる。
「本当はね、誰でもいい、ってわけじゃないの。本当は、本当に殺したいひとはいるのよ」
 細い指が、白いストローに添えられた。
「憎い、とかじゃないの。そのひとのこと、わたしは大好きなのよ」
 ストローが回る。オレンジジュースに、丸く波紋が立った。
「だからね、ちゃんと殺したかったの。思い残しがないように」
 氷とグラスの触れる、音が鳴った。
「殺し損ねたり、何か、違うな、って思うのは嫌だから」
 カラン。
「今日殺してきたひとは、練習」
 彼女の唇に、白いストローのまるい穴が近づいて。
「大好きな人を殺すための、練習」
 唇の割れ目に、ストローは接続された。
 白いストローが、薄いオレンジ色に染まる。彼女の喉がごくりと鳴った。
「ねえ、みぃ。わたし、変かな?」
 彼女の唇から離れたストローと、そのストローのささるオレンジ色の液体。
 グラスは、コースターの上へと戻された。
「大好きなの。大好きだからこそ、殺したいの」
 その小首を傾げる姿は、可愛らしいけれど。
 白い指が、銀色のフォークへと伸びた。
「おかしいかなあ、わたし。みぃは、思わない?」
 フォークは彼女の意思により、持ち上がる。
「大好きなひとを殺したい、って」
 彼女はフォークで皿の上の苺をぷつりと刺した。
 赤い、苺を。
「ねえ、殺させて、みぃ」
 にっこりと、笑った。
 それはまるで花のように。
 大輪の花が花開くように、彼女は笑った。
「わたしはあなたを殺したいの、みぃ」
 彼女は、赤い赤い苺を、その口の中へと放り込んだ。

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