短編2

□携帯電話
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 私は、渡された携帯電話を右手で開いた。
 小さな音を立てて現れたその画面の壁紙は、歯車の模様。くるくると、歯車は回る。
 その携帯電話は私のもではないから、使い慣れない機種だけど、使い方は何となく分かる。開いた本の形が書かれたボタンを、親指で一度押した。歯車の壁紙が、電話帳の機能の画面へと変わる。
 私は、目の前に座る笑顔を張り付けた人物へと顔を向けた。
 その人は、これを単なるアルバイトだと言った。


『はあい、君、吉野美代子ちゃんだね。簡単なアルバイトがあるんだけど、しない?』
 胡散臭さ満点の、張り付けられた笑顔でかけられた言葉。私はその胡散臭いとしか言いようのない存在を、無視した。
 けれどその人は、無視されたことなんて気にもせず再び私に声をかけてきた。
『後悔するよ、吉野美代子ちゃん。本当に簡単なアルバイトなんだ。電話を一本かけて、とある言葉を一言言うだけ。それだけなんだよ?』
 胡散臭い胡散臭い、なにこの変な人。そう思っていたけれど、はたと気づいた。吉野美代子ちゃん。その人は、私の名前を知っていた。
 思わず、その人へと顔を向け、その人の顔を見てしまった。
 その笑顔も服装も、髪型も髪の色も何から何まで胡散臭い。そうとしか言いようのない人物が、そこにいた。
『やる気になったかな? 電話もこっちで用意するし、すぐ出来るし、報酬も出すよ。報酬って、お金じゃないけどね。でも、お金で買えないもの。お金より凄くて、大事なものなんだよ。そして、何と報酬は』
 ちゃらららららん、と何とも言えない擬音を、その人は自分の口で発した。右手を広げて、前に突き出す。指の数、五。
『何と。寿命五年分! 凄いでしょ?』
 寿命。何言ってるんだこの人、と私は再びその人を無視することにした。
 するとその人は、あれ、と小首を傾げて見せた。胡散臭い。
『あ、寿命っていうのが胡散臭いのかな?』
 それ以上にあなた自身が胡散臭いです。
『大丈夫、ちゃんと報酬は払うから。僕、死神だからちゃんと払えるよ。ってか吉野美代子ちゃん、このアルバイトしないと、君、今日死んじゃうよ?』
 まあ騙されたと思ってやってみなよ、騙されたって君の損にはならないでしょう?
 そう言って、その人は私に携帯電話を渡した。


 私は携帯電話の電話帳から、適当に選ぶ。名前も何も入っていない、情報は電話番号だけ。本当に適当に、私はその番号を選んだ。
 通話ボタンを押す。携帯電話を耳に当てて、呼び出し音が一回、二回、三回。相手が電話を取る音がして、「はい?」と声が耳を刺激する。
 ごくりと、喉が鳴った。
「××××××――×××」
 私は、その人に伝えられた言葉を、そのまま口にした。
 耳から携帯電話を離して、通話終了のボタンを押す。歯車の壁紙が現れる前に携帯電話を閉じ、その人へ返した。
 その人は携帯電話を受け取って、一度開いた。少し何やら操作して、それからその顔を私に向ける。
「はい、確かに。吉野美代子ちゃん、ちゃんと電話したんですねえ。それでは、君が電話をかけたこの人の寿命五年分を、贈呈するよ。じゃあ、吉野美代子ちゃん」
 にや、と。
 その人は、笑った。
 煙のように、その人は消えて。
 言葉だけが、残った。
「僕は消えるけど、君は延びた五年分、人生を楽しんでね」





 その日私は、事故に遭った。
 結構な大事故で、生死の境をさまよった私は、けれど何とか一命をとりとめた。
 私は、本当ならこの事故で死ぬはずだったのだろうか。
 あの、携帯電話に向かって言った言葉がよみがえる。


「私の代わりに――死んで」



 私が電話をかけた人は、どうなったのだろうか。

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