長編

□夢中の本屋
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 夜――円い月が昇る夜。
 私は、夢を見た。





 そこは、薄暗い場所。例えるならば、夕暮れの薄暗い図書館。
 明かりは点いていない。両脇には私の背よりも高い本棚がずらりと並び、威圧するように見下ろしている。
 詰め込まれた本はみっちりと、そして整然と並ぶ。入りきらないのか足元には乱雑な本の山がいくつも出来ていた。
 地震が来たら私は本に押しつぶされて死ぬのだろう。ふとそんなことを考える。それほどまでの質量と、重量を感じさせた。
 ふと――視線を通路の向こうへと向ける。誰もいないと思っていたその場所に、人影が見えた。
 誰だろう。ゆっくりと進めていた足を、少しだけ速める。
「ようこそいらっしゃいました、お客様」
 仰々しく礼をする、その手には黒のシルクハット。礼服、だろうか。私はあまり詳しくないから分からないが、全体的に黒く格式張った雰囲気を醸している。
 体を起こし、その人はにっこりと笑った。
 手にしていたシルクハットを頭に被りなおす。両手で直してから、もう一度微笑みかけた。
「こちらは夢中の本屋でございます。わたくしは案内人の、コソラドと申します」
 むちゅうの――
「ええ、夢の中でございます。こちらではお客様に書籍を一冊だけお売りしております」
 どれでもお好きなものをどうぞ。
 オーバーな仕草でコソラドは辺りを示す。
「お代は必要ございません。夢の中でございますから」
 にっこりと、笑う。
 私は辺りを見回す。この中の一冊を――そう思って見ると、不思議なことに気がついた。全ての本、その背表紙には題名が書いていない。著者も書いていない。床に目をやる。そこに置かれた本たち。それらにも、題名も著者も書いていなかった。
 タイトルが――
「大丈夫でございます、お客様。こちらに置いてある書籍はまだ題名がないのです。何も問題はございません」
 きょろり、と辺りを見回す。――ふと、床の上の本に隠れるようにして本棚に納められた一冊に目が行った。吸い寄せられるように、手がのびる。
 装丁の色は深い緑色。ずっしりとした重量。
「――そちらの書籍がお気に召しましたか」
 それではそちらをお売り致しましょう。
 コソラドは懐から筆記具を取り出す。高級そうなペンだ。蓋を外し、私から緑の本を受け取る。とても自然で、私はつい手を離した。
 さらさら、とペンを走らせる。緑色の装丁に、文字が現れた。
 不思議な銀色の文字だ。流暢な、流れるような字。
 著者の書かれるべき場所に、案内人の名前――コソラド。
 そして、題名の書かれるべき場所に――ああ、この文字の並びは。私の名前だ――
 コソラドはペンに蓋をし、懐にしまい直した。そして今度は懐中時計を取り出す。銀色のそれは、鈍く、鈍く光って。ぱちん、と蓋が開けられた。コソラドは小さく頷き、時間ですねと呟く。
「お客様、今宵はまことにありがとうございました」
 仰々しい礼。片手には私の名前の書かれた本。片手には黒のシルクハット。
 にっこり、と笑う。
「あなたは運命をお買いになられた。さあ、目をお覚まし下さい――ユナ・ミツキ様」
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