お題

□頂き物お題
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 深く深く沈んで。
 揺らり、揺ら、と揺らぐ空気の水。
 天からは暗い暗い闇が降りて、たいようの光さえ届かない。
 そんな、深い深い深い場所。
 けれどそこは、ぼう、と薄明るく光る光の玉に囲まれて。
 まばゆくはないけれど、暗くもない、闇から引き離された場所。
 揺ら、揺らり、と。深く、沈んで。

 そう、そこは海の底――

 青い、碧い海の底。



 差し出される、白い腕。
 きっと、見間違いだろう。死を目前とした僕の脳が、最期に奇跡を見せているのだ。
 延ばされる腕は、白く美しく。
 揺れて広がる長く美しい、色素の薄い髪。
 唇の赤は、塗られていないそのままの、少し褪せた赤い色。
 そして――深く深い、吸い込まれそうなほどに澄んだ、海の色の青い瞳。
 美しいそれらを併せ持つ、それはまるで。

(女神、)

 この世で一番美しいものを、僕の脳は最期に見せてくれた――
 沈む、沈む。
 その身と共に、意識を深い海に溶かして。
 青い色に、沈んでいった。
 美しい女神の腕が、僕を包む。



 揺らり、揺ら、と視界が揺れた。
 意識が持ち上がって、瞼が開いて、世界を視認する。
 暗い空。揺れる空気。ぼう、と光る光の玉。

(あれ、)

(僕は、)

(海に、)

(沈ん、)

(で……)

 瞬きを一つ。
 視界に映りこむ、白い腕。
 何だ、と視線を動かすと、揺ら、と体が揺れた。

(ああ、)

 女神が映る。
 美しい、奇跡のような海の女神。

(白い肌)

(長い髪)

(青い瞳)

 揺ら揺らと、浮遊感。
 体が揺れて、視界が揺れて。
 現実味のない世界。

(これは)

(きっと)

(死の、)

(狭間の)

(短い、)

(……夢)

(すぐに)

(終って)

(しまう)

(ああ、)

(話を、)

(声を、)

(女神の)

(聞き、)

(たい、)

 唇を開く。声を。声、を。
 けれど。
 声は、出なかった。
 もがいても、もがいても。
 声帯が震えることはなく、声は音として外界を震わさなかった。

(嫌だ、)

(どう、)

(して、)

 女神の、白い指が。
 唇へ触れた。
 小さく首を振って、何かを否定するように。
 その、仕草に。
 僕は見とれて。

(これは)

(きっと)

(僕の、)

(脳の、)

(見せた)

(幻……)

(けれど)

(美しく)

(目を、)

(惹き、)

(つけて)

(離せ、)

(な、い)

 白い腕が、伸びて。
 まるで、その腕に呼ばれたかのように。
 光の玉が、二つ。
 その手の中に、納まった。
 ぼう、と微かな光が、その白い肌を照らして。
 光の玉の片割れを、僕は受け取った。

《これで、》

《話しが出来る》

《この光は、この世界の太陽で》

《意思を伝えるための道具》

 美しい声が、僕の鼓膜を震わせた。
 僕は。
 何か、返さなくてはと唇を震わせたけれど。
 言葉は、声とはならず。
 むしろ、魅入られたように、指先一つすら動かすことは出来なかった。

《ねえ、君は空から来たね》

《ここから見ると光さえない空だけど》

《空の向こうは光で溢れてるって、本当?》

 美しい。
 美しい、声音。
 美しいその姿と似合う、美しい声音。
 それが、僕の耳朶を打つ。

《私、空の向こうから来た人に初めて会うから》

《空の向こうって、どうなっているのかすごく不思議なの》

《いつか、聞いてみたいって思っていた》

 その白い指が、僕の頬へ触れる。
 微かな余波と、こそばゆい感触。

《君は、空の向こうの大地の世界から》

《この、空の下の海の世界へやってきたのだろう?》

 女神、は。
 その白い体をくねらせて。
 僕の上へと移動した。

(空を、)

(飛んで)

(――否)

(違う、)

(あれは)

 白い姿態。
 うねる体。 その、腰の部分までの――爪が飾る指先、伸びる腕、捩れる肩、膨らんだ胸、捩れる腹、それらの白く滑らかな肌。
 腰から下の、下肢。
 きらきらと、煌いて。

(美しい)

(あれは)

(さかな)

(の――)

 美しい鱗で覆われた、その下肢。
 女神は、その白い腕で僕の足に触れた。

《大地の世界で生きるものは》

《私たち海の世界で生きるものと》

《尾っぽの形が違うのだと聞いた》

 その白い指先が触れる感触は、皮膚が刺激されて脳へと繋がる。
 体が揺れて、視界が揺れて。
 感じるのは、浮遊感。

《ねえ》

《私に、聞かせて》

《大地の世界の話を》

 女神は。
 青い瞳で、僕を覗き込んで。
 その瞳に吸い込まれるように。

(ああ、)

(これは)

(夢か、)

(それとも)

 唇が震えて。
 僕は光へと語りかけた。

《これは――》

《現実?》



そしてやっと頷いて



 彼女は、微笑んだ。
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