長編

□寒なる池
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 ――古い、倉。
 家の隅にひっそりと建てられたその中で、白沙はそれを見つけた。
 古い書物。
 まじない、と題されたそれに記されていたのは――ひとつ。

 北の方、旅の途中山中が村落にておもしろきこと聞きたり。

 その文言で始まる記述。



 北の方、旅の途中山中が村落にておもしろきこと聞きたり。

 其れを我、此処に記す。

 我、傷心にて旅に出ず。
 其の旅の途中、深き山にて我道を見失い、我小さき村に辿り着く。
 小さき村は、村民全てで百にも満たぬ。
 寒く、其れは湖も凍る程。
 然し夏は涼しく、過ごしやすいのだという。
 我が村に辿り着いたは冬なりて、水の凍りし湖は寒々と冷気を湛えていた。
 村民は道に迷いし我に食事と寝床を与えてくれた。
 稀に、我のような迷い人が現れるのだと言う。
 慣れてはおらぬようであったが、我を客人として迎えてくれた。
 村民は、我に様々な話を請うた。
 山奥の村落であるから、娯楽となることが少ないのだという。
 其の夜、我は村民の娯楽の一つとなった。
 我は請われるままに様々なことを語った。
 妻のこと、子のこと、親族のこと。
 家のこと、生業のこと、友のこと。
 生い立ち、街の様子、学んだこと。
 旅で見たもの、聞いたもの。
 其れから、何故我は旅に出たのかということ。
 一宿一飯の恩、我は語りたくなきことまでも語った。
 すると、村民は話の礼だとおもしろきことを話してくれた。
 其れは、村に伝わる呪いの話。
 年に一度、真冬の祭で執り行われるのだという。
 村民の言う呪いは、次のようなものであった。



 寒なる池。
 其の表皮を打ち破り。
 中央に華、添えるべし。
 然為れば神、文言に応え力を示すであろう。

 文言、次の通り也。


 我らが神よ
 我らに力を与え給え
 其の力、示し給え
 空に華、咲かせ給え



 我は気になり、我にも其の祭を見せてくれと請うたが、村民は首を振った。
 空に華をあげるだけの祭だ、見ても何もない、と。
 其れでも構わぬ、と我は言った。
 然し村民は他所者には見せられぬ、とそう言って笑った。
 我は残念に思うたが、仕方がないと諦めた。
 村民はけれど、我に告げた。
 此の村を出るは、明後日の夜にするが良い、と。
 我は急ぐ旅でもなし、村民の言う通りにすることにした。


 一日過ぎて、又次の日。
 我が村に辿り着いてから三日目、村民に旅立つは其の日が良い、と言われた日。
 夜、更けてから。
 我は村民に礼を言い、村を出た。
 暗い中、黒い道を歩んで居た時。
 我が背後から、空華にがあがった。
 黒い空に、まばゆい華。
 其の時の感動を、何と表して良いか。
 我は其れを、文字で記す術を知らない。
 だが、我は悟った。
 此れは、村民からの贈物なのだ。
 祭が見たいと言った我への、せめてもの贈物。
 我は其処で涙を流し、家へと帰った。
 心に負った傷は、其の華に癒された。
 美しきものを見て、我の傷心の旅は終わりを告げた。


 いずこか知れぬ、山中の村落にて聞きしこと。
 我、此処に記したり。――空山
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