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□梨の人
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大学生になって節約の日々を過ごすようになった。
高校生までは実家暮らしだったから、親にお小遣いをもらい、親に頼って生活していた。
一人暮らしを始めてから、お金を稼いで生活することがどれだけ大変かがよく解る。
昔は喉が乾いたらすぐ自販機やコンビニでペットボトルを買っていたけれど、今ではそれすら勿体なく感じて滅多なことでは買わなくなった。
買う代わりに、毎日水筒を持参している。
自分で作る麦茶は、自慢じゃないが結構美味しいと思う。

そんな生活を送る中、わたしは大学近くのスーパーに来た。
目的は夕飯の材料と、明日のお弁当の材料を買うためだ。
節約するためになるべく自炊しているのだけれど、面倒になることも時々ある。
それでも自炊の方が安いから、自炊を続けている。

というわけで、必要最低限の夕飯の材料とお弁当の材料はかごに入れた。
合計がいくらになるか心配しつつ、何となく滅多に来ない果物コーナーにやって来た。
果物か……一人暮らしを始めてから、あまり食べてない。
たまには買うのもいいかな。
どれにしようか悩んでいると、一際輝く果物が目に入った。
それは……


「な、梨……!」


わたしが大好きな梨だった。
そういえば、今年はまだ一度も食べていない。
もうすぐで美味しい季節も終わってしまうし、たまには梨を食べても良いのでは?
そんな誘惑に負けつつ、こっそり財布を開けてみた。
……ダメだ。諦めよう。
多分、かごの中身を全部合計したら財布の中身はゼロに限りなく近くなる。
流石に一ケタでは梨は買えないだろう。
ああ、梨、食べたかった。
わたしは内心涙を流しつつ、財布をこっそり閉めた。
さらば、梨。
また来年ね。




スーパーを出て、大学構内を通り、六畳一間の我が家を目指す。
メインストリートの並木道は、夏は毛虫、冬は枯れ葉がこれでもかと言うぐらい降ってきて嫌だけど、今の時季は大好きだ。
早く色付いた葉が時々誰かの頭に落ちているのを見て少し笑ったり、全てが色付くとまるで燃えているみたいに赤くなったりするから、早く家に帰らないといけなくても、思わず足を止めてしまう。
今はまだ青とか黄色とかで、赤はあまりない。
早く赤にならないかな。
赤い時が一番好きなのだけれど。

ふと、目の前を歩く学生の頭を見ると、赤い葉が一枚乗っている。
まさか、もうそんな人に出逢えるとは思っていなかったので、思わず声を掛けた。


「あの! 頭に葉が乗っていますよ」


わたしの呼び掛けに、学生は立ち止まり、振り返った。
見るからに派手な格好の彼は、不機嫌そうな表情だった。
馬鹿だな、わたし。
どうして声を掛けたんだ。
わたしとは住んでいる次元が違う人種ではないか。
凄く怖い……!

内心おびえるわたしに、彼は徐に近付いてきた。
確かに呼びとめたのはわたしだけど、来ないでほしい。
わたしが逃げればいいのかもしれないけれど、恐怖で足が動かない。
どうしよう……。
とにかく、目線を下に向けた。

そして残り一歩ほどになったとき、彼は立ち止まった。
ギリギリ彼の足が私の視界に入る。
うわ、高そうな靴……って、そんなことを考えている暇はない。
一体、何を言えば見逃してくれるだろうか。
ぐるぐる頭の中でいろんな考えが回る。
だけど、どれもはっきりとしなかった。
そんなわたしが思考を止めたのは、彼の声が聞こえてからだった。


「ありがとう。おかげで、友人に笑われずに済んだよ」


彼は意外と普通の喋り方だった。
しかも、お礼まで言っている礼儀正しい人だ。
人を外見で判断してはいけないとは、このことだろうか。
わたしは勘違いに気付き、恥ずかしくなって小声で「いいえ」と返した。
わたしの失礼な返事に対しても、彼は怒りを表さなかった。
寧ろ、その表情は先程とは違い、優しいものになっている。


「友人を待っていたんだけど、約束の時間を三十分過ぎても来ないから、迎えに行っていたところなんだ。頭に葉っぱを乗せたまま行ってたら、笑われてたな。本当にありがとう」


彼は不機嫌だった理由を苦笑しながら教えてくれた。
ただ頭に葉が乗っていることを言っただけでここまで親しげに話されると、一体どう返事をすればいいのか解らない。
とりあえず頷いてみた。

すると彼はまた柔和な笑みを見せ、何かを思い出したように手に持っていた鞄を漁った。
そして鞄から取り出されたのは、赤い芋。
多分、サツマイモだろう。
……鞄からサツマイモが出てくるとは、ますますこの人が解らない。


「これ、実家から送って来たんだ。さっきのお礼に、キミにもお裾分けするよ」

「え、わたし、お礼を貰うほどのことはしてませんから……」


思わず言ってしまっただけのことで、特に意味はなかった。
それなのにサツマイモを貰うなんて出来ない。
本音を言えば節約生活をしている今、欲しくない訳ではないけど。


「いや、俺があげたいんだ。だから貰ってよ」


本人にそう言われてしまえば、貰わなければいけない気がする。
……決して、わたしが欲しいからではない。
彼がどうしてもというからだ。


「じゃ、じゃあ、頂きます。ありがとうございます」

「お互い様だよ。あ、そうだ。名前、聞いてもいいかな?」

「へ?」


突然の問いに、わたしは思わず訊き返してしまった。
だってわたしの名前を知っても、彼には何の得もないはずで、わたしだって得はない。
しかもさっき初めて逢った人に名前を教えるのはどうだろうか。

わたしが渋っていると、彼はまたもや鞄を漁り始めた。
今度は何が出てくるのだろうか。
携帯電話とか?


「じゃあ、俺がキミの名字を当てて良い?」

「わたしの名字を当てる……?」

「そう。キミの名字は……」


そう言って、彼は徐に鞄から一つの果物を取り出した。
それはさっきわたしがスーパーで見た、とても今食べたいものだった。


「これだよね」

「……わたし、流石に名字は梨じゃありませんよ。梨は好きですけど」


わたしがそう応えると、彼は笑いながら首を横に振った。
え、違うの?


「この梨の品種名ね、あきづきっていうんだよ」

「あきづき?」


初めて聞く品種だ。
……というか、わたしの名字、確かに秋月なんだけど!
驚きで思わず口が半開きになった。
一方、彼は苦笑している。


「その様子だと、当たってるみたいだね」

「な、何故わたしの名字が……!」


彼は少し考える素振りをして、それから梨をわたしの口に当てた。
久々の梨の皮の感触が、ひんやりとしていて気持ち良い。
だけど、何故こうされているのか解らない。

ニコリと笑った彼は、わたしの疑問に答えた。


「だって、秋月さんは梨が好きだからね」


それは理由になってないと言いたいけど、梨が邪魔して言えない。
もう、本当に意味が解らない!


「じゃあ、俺はそろそろ行くね」


梨をわたしから離しながら、彼は立ち去る。
わたしは暫く呆然としていたが、さっきの梨はわたしが食べてもいいのではないかという考えに辿り着いた。
だから走って彼の隣に行き、思いっきり言った。
だって梨が食べたい。


「梨、ください! わたしが責任をとって食べますから!」

「え、でもキミが触れたのは皮だし」

「じゃあサツマイモと交換してください! 梨の方が良いです!」

「……ぷっ。秋月さんは本当に梨が好きなんだね。顔を赤くして言うことじゃないよ、それ」

「いいじゃないですか! 交換してください!」


必死に梨を要求するわたしに、彼は最後まで笑っていた。




結局、最終的には両方貰って帰ったわたし。
ついでに名字を知っていた理由も種明かししてもらった。
なんと最近わたしのバイト先に客として来ていて、名札を見たんだとか。
あっけない理由に少しがっかりしたけれど、梨が食べられるから良いとしよう。




梨の人





サークルのお題で、サークルの部員が考えた短歌から3つ選び、1つの小説を書くっていうものでした。
素晴らしい短歌を発見し、そこからこの小説を書いたんですけど、展開が決まる話って結構難しいものですね。
まぁ素敵な短歌を書いてくれたTちゃんに感謝します(笑)
この小説からどんな短歌だったのか想像してみると楽しいですよ。
……今度は彼視点で書いてみようかな。

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