最後の更新は此処
□青少年特有のアイデンティティーの探求について
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どうやら俺たち人間という生き物は自分というものについて考えなければいけない生き物らしい。
誰だって一度はあるはずだ、自分は誰なのか何なのか
下を向いて黙々と道を歩くサラリーマンのおっさんも、路上で座り込んで化粧してるハデな女子高生も
かくいう俺だってやっぱりたまにはそんなこと考えてみる、いつも笑ってるからって、悩まないわけじゃない(たまに考えすぎて鬱)
ふと鏡を覗き込むとそこにあるのは愛しの恋人、じゃなくて端正で男前な俺の顔。
そうだ、これが俺だあいつとも誰とも違う俺の顔、自分で言うのもなんだが結構気に入っている。
ナルシストだなんていわれようが、自分自身を愛せない奴に他人なんか愛せないと思う。
ナルシスで結構。
だいたい謙遜を美とするはずのニッポン人の自分に対する評価は謙遜通り越して卑屈だ。
やっぱ多少なりとも自分に対する自信だとか自己愛だとか、必要じゃん?
だから俺は俺が好き、栄純が大好き、栄純と形作ってる全てが好き、だから栄純が好きだと言ってくれる自分が好き
ナルシストと呼ばれても構わない
卑屈に鬱々生きるよりマシだ。
アイデンティティー(identity)本質的自己規定・あるものがそれとして存在すること.