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29 ダイレクトキス



無性に、口付けたい日だった。


朝、目が覚めてすぐにそう思い、さすがに少し自己嫌悪というものを覚えた。
この年にもなって冗談ではない。年若い、“そういったこと”に興味がある頃ならば分からなくもないが、俺は立派に成人しているし妻帯していてもおかしくない年齢なのだ。

そう冷静に考えた。だが、欲望はちっとも治まらない。
むしろうずうずと何かを期待するように、炎を強くし俺の胸中を焦がしていた。
なんだこれ。俺、ビョーキか。あいつに今すぐ会いてぇ。会って、口づけて、少し困ったような笑顔が見たい。
一度思い始めると止まらなくなるのが俺の悪い所かもしれねぇ。
だが抑えられるわけもなく、俺は邸を飛び出した。

「若様はもうお出かけになりましたよ」

なんてことだ。朝一で来たにもかかわらず、凌統はもう邸にはいなかった。
笑顔で女官にそう言われては返す言葉もなく、俺はしぶしぶそこを離れ、もやもやとしながら城へと向かった。

朝の接吻、失敗。





興味の欠片もねぇ竹簡を適当に読み進めるとあっという間に昼が来た。集中してないからか。
どっちでもいいかと思考を分断し、俺は手元の書物を放り投げて凌統探しの旅に出た。
おそらくこの城のどこかにはいるはずなのだ。検討すらつかねえのが悲しいが。

ぷらぷらと足を進めると、ふと耳に望んでいた声が(俺的には嬉々として)飛び込んできた。
思わずそちらに目を向けると、凌統が珍しく笑顔で手をあげていた。よう、という声もなかなかに上機嫌で、俺は内心で喜びながらも冷静に挨拶を返した。
あ、やべえ、やっぱり口付けてぇ。そう思った瞬間だった。手に温かい何かが置かれ、というより、強制的に持たされた。
茶だと認識した時にはもう凌統はすっと俺から離れていた。おい、なんだこれ。

「悪いね。俺これからちょいと急用でさ…それ、俺の、飲んじまってくれよ。いいだろ?」
「いいけどよ」
「ありがとさん。じゃ、またな甘寧」
「あ、おい!」

手を伸ばした時にはもう遅く、長い脚の歩幅は残酷にも距離をさくさくと縮めていった。なんだそれ、なんだそれ!
確かに仇だとつけ狙われていた時と比べれば天国だ。天使の如き可愛さだ。
だがこれはあんまりじゃねえのか。昼の接吻も、失敗ってか。
仕方なしにため息をついてから茶を飲む。相変わらず薬のような味で、俺はあまり好きではないと思った。
望んだものと少しだけ違った間接的な口付け。実際はただの固い椀で、温かみも甘みもない。
そう思った時にはもう、ぐいと中身を飲み干し走り出していた。突発性瞬発的思考、それでこそ俺だ。

「凌統!」
「ん?うわっ、ちょ、んんっ」

進力を利用して、そのまま口付けた。我ながら器用だ。
最初は軽く合わせるだけだった口付けを徐々に深めていく。
そうだ、これだ。俺がずっと望んでいたものだ。椀なんかとは違う、直接的な口付け。
きっと困ったような笑顔はついてはこないだろうが、それでも満足だ。

放すと同時に怒られるだろうなと思った俺は内心苦い思いをしながらそっと熱を手放した。
満足した、が、足りない。もっと、お前が欲しいんだよ、凌統。分かってんのかお前。

「なん、だよ…飢えてんのかい」

違和感でそちらを向いた時の俺の心臓の飛び跳ねようは、どうせ通じないのだろう。
滅多にない、顔を真っ赤にさせて困ったように視線をそむけるこいつの“照れ”は、俺の心臓にすこぶる悪いのだ。
お前、自分がどんな表情してっか分かってねぇだろ、なあ?

「俺はいつでも飢えてるぜ」
「そりゃまた、若々しくてなによりで…」
「なんだよ、お前は違うのかよ。俺はお前が足りねーよ」

まっすぐにそう言うと、凌統は照れを強めた。無言で耳まで赤くするのは、ある意味反則だ。
言葉にしないぶん体に出てるのか。なんだこいつ、かわいいな。

「俺だって…」
「あ?」
「なんでもないよ。ったく、俺は行くぜ」
「おう。行ってこいや!」

ばん、と背中を叩いて送り出すと今度こそ困ったような笑顔を浮かべていた。今日はずいぶんと大盤振る舞いだな。


すっきりとした爽快な気分で肩をぐるりと回し、城へと足を向ける。
気乗りのしない書簡と向き合う決心をした俺は、だがそれでも足取りを軽くしていた。



【ダイレクトキス】
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