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不感症シンドロームB


その翌晩。明日にはこの地を去り、建業へ戻るという直前に俺は凌統のいる幕舎へ赴いた。護衛兵には殿からの遣いの物を見せるとあっさりそこを立ち去った。これは本当だ。殿も随分、俺を信頼していると思う。ここ半年程凌統の仇討ち行為がないので安心しているのだろうが、ここまで誰にも俺たちの関係が見つかっていないとはいっそ不安になる。もちろんしねぇが、本当に謀反を起こしやすそうな軍だと思っちまう。

凌統は眠っていた。全身を包帯で巻かれ、顔面にもあざやら切り傷やらが大量に乗っており、大層痛々しい。俺は散々凌統を嬲り犯してきたが、体が傷付くことに興奮を覚えるわけではなかったのでその姿はただ不快なだけだった。

横たわる体を乗せた寝台に腰掛け、その髪を掬う。頬に触れても冷たく、本当に死んでるんじゃねぇかと不安になったが、時々上下する胸を見て呼吸が分かり安堵する。こんなにも人の生死を気に掛けたことはあっただろうか。多分、なかったな。あんなにも自分の手で精神的に傷めつけておきながら生きていて欲しいだなんて、酷く傲慢だ。自分勝手にも程がある。
だが、こいつが俺の側を離れることは考えたくもないくらい嫌だと直感した。この半年かけて体を抱いて、強引に触れ続けて、情が湧いたのか。気付いてなかっただけで、凌統が向かってくるあの執着を求めていたのか。今や俺の方こそ強くこいつに執着しているだなんて、本末転倒な話だ。

そんなことを考えていたら、凌統の目がうっすら開いた。俺のことを認識するのにもかなりの時間を要したので、余程困憊している。それは全身を見れば明らかだったが、改めてこいつの受けた傷を考えると面白くない気持ちになった。

「おう、凌統。目ぇ覚めたか」
「……っ!」

凌統がようやく俺に気が付き、目を見開いて身動ぐ。だがその瞬間に全身の痛みが分かったのだろう、顔をしかめて呻き声を上げた。その様子はまるで情事の時と似ており、少しだけ劣情を煽ったが今は無視した。

「お前死にかけてるぜ。水、飲めっか?」
「……」

凌統は戦で倒れる直前と同じように真っ青だ。反射的に俺を拒絶するようになっているんだろう。勝手に傷付く凌統は面白くないが、拒絶する様に腹は立たなかった。
無理やり奪った体は俺のものになんかなってねぇ。脳が危険だと判断して瀕死の状態でなお逃げろと命令する程、心は離れている。
その悲しい有り様を見て、今になって、あのギラギラした目は良かったな、と思い至った。取り返しがつかない。後悔は先に立たない。そんなような言葉が頭を占めた。

「お前がこんな状態の時に、何もしねぇよ」
「……」
「よく生きてたな。やっぱ強ぇわお前」
「……」
「これ、どうにか飲め。んで、寝ろ」

凌統は不審そうに、眉をひそめた。そりゃそうだろう。散々陵辱してきた相手が急に親切にしたとて、気味が悪いだけだ。
どちらにしても体も起こすことや声を発することが出来なさそうな凌統を見て、しびれを切らす。吸い口から水を己の口内に注ぎ、凌統の唇に触れ、流し込んだ。恐らくこれも拒絶したかっただろうが、身動ぎ一つせず受け入れていた。
何度かに分けて口移しを繰り返す。やや溢れて凌統の頬を伝い、寝台が濡れた。それでも用意してあった殆どを摂取できたはずだ。
体を起こして、凌統の頭を撫でる。戦でごわついた髪だが、無性に愛おしいと思った。

「じゃあな」

どうせ返事はしねぇだろうと思い、反応を確認する前に幕舎を出た。護衛兵を呼び戻し、張り付くように指示した後は、ただモヤモヤした思いを抱えながら、部下と飲んだくれていた。

***

俺は合肥の戦以降、凌統に近付かなかった。面白いものでわざわざ接触しなければ、軍議以外で顔を合わせることもなかった。どちらかが避けずともあいつとは交わることがないようになっていた。それなのに、あえて突っかかってきた凌統も、その後犯すことだけを考えて姿を探した俺も、随分手間をかけていたと今なら分かる。

凌統はあんなにも痛ましい姿だったとは思えないほど驚異的に回復した。老将どもが言っていた内容を殿が真に受けちまうんじゃないかと懸念したが、どころか倍の兵を凌統に与えたのは度肝を抜かれた。殿さんの決断力に、間違いなくここ孫呉が俺の力を発揮する場所だと確信できた。

合肥での借りを返すように、濡須で曹魏と開戦することが決まった。

「俺が先鋒を務めます」

俺を意識してなのか、単に合肥での戦功を悔いているのか、凌統がそう宣言して殿が頷く。俺は格好悪いことに、前者であることを漠然と望むだけだった。

曹魏は強ぇ。一体何度そう思わされてきたか分からねぇが、とにかく敵の数が多い。喧嘩のしがいはあるが、大事にしてきた野郎共がみるみるやられていくのは本当に面白くねぇ。いくら俺でも全ての戦況を返すなんざ無理だ。とにかく目の前の敵を薙ぎ払っていると、伝令の声が飛び込んできた。

「凌将軍が敵将楽進との一騎討ちを開始!」

俺はあいつが楽進ごときにやられたりはしねぇと知っている。だが無性に嫌な予感がした。合肥で感じたものと匂いが似ている。あいつを、失いそうな気配だ。
力ずくでわらわらやってくる奴らを吹っ飛ばし、馬を凌統の方へ向けた。そう言えば、もう三月も抱いていない。まぁ抱くも何も無理やりなので、正直に言えば犯しているだけだが恋しいな、と思った。戦場はこうして時々、性欲が湧く。それは最早凌統にしか感じないのか、女を抱く気にもなれなかった。馬を叩いて走り抜け、必死に欲を諫めた。

着いた瞬間に状況を理解した。一騎討ちだと言うのに、余計な野郎が凌統を落馬させたようだった。その首を取らんとする楽進が目に入った途端、先ほどまで滾っていた性欲やら喧嘩の熱やらが全て引いた。
だから、そいつは俺のだっつっててんだろ。俺以外の誰もが、傷付けることは許さねぇ。
馬上から弓を引く。狙い撃つのが極限に難しい環境で、俺は楽進の脚を射止めた。奴が驚き、側にいた…曹休だったか、が慌てて楽進を引いて逃げた。追って仕留めるか悩んだが、部下も追い付いていないので今は諦める。
凌統がこれ以上開かないと言うくらい目を丸くしていた。馬を下りて膝を折り、凌統の全身を確認する。特に大怪我を負っている様子はなかった。

「……あんたは、何なんだ?」

凌統の疑問は尤もだと思った。親仇である俺が、散々体を犯しておきながら戦で救うことは、こいつにとって理解できないことだろう。突然姿を見せなくなったことも含め、訊いたのかもしれない。

周囲は凌統の兵達がおり、ただならぬ俺たちの雰囲気に固唾を飲んでいるようだった。凌統に触れたいと思ったが、叶わなさそうだ。

「俺はお前の味方だ」
「なっ…」
「行くぜ」

立ち上がり馬に跨がる。この様子なら凌統も新たな馬を得れば先鋒に戻れるだろう。俺も自分の役目を果たしてから、また張遼に備える必要がある。立ち去ろうとした時に、凌統の声が聞こえた。

「…命を救ってくれたことは、感謝するよ」

そう言って深々と拱手する凌統を、あまり直視できなかった。自分勝手に弄んでおきながらこの程度で許されるなんて思ってねぇ。生真面目なこいつが言う礼を真に受けると、変な期待を持ちそうだ。返事もせずすぐにそこを発った。

***

戦が終わり、一旦曹魏とはまた膠着状態となった。つまり、しばらくはでかい喧嘩がねぇってことだろう。
当然城では日々鍛錬やら調練やらがあり、時々異民族の討伐だのショボい反乱だのを落ち着かせに行くことはあったが、力をもて余していたのは事実だった。別に孫呉のやり方が悪ぃとは思っていない。今はそういう時だと分かる。だが、つまらない。

凌統のことも、ずっと心で燻るのみで特段出来ることもなく、もて余していた。ただ姿を見せないように努めて避けた。
あいつの親父のことも、あいつ自身にしたことも、謝るつもりはない。それをしたところで許されるようなもんでもねぇし、やっちまったもんは取り返しがつかない。
だから、この退屈さはその罰なんだろうと考える時がある。この俺がそんな奇特なことを思うとは世も末だな。

地面に寝転び一人江を眺める。水はいい。見ているだけで時間も流れていく。
ジャリという地面を踏む音が聞こえ、振り向くか悩んだ。いるのは先程から分かっていたからだ。足音を立てたなら認識してもいいということだろう。首だけを向けると、苦い顔をした凌統が立っていた。

「よう凌統。江まで来るのは珍しいな」
「…あんたこそ、一人で黄昏れてるなんて珍しいんじゃないの」

凌統と会話するなんて、いつぶりだ?戦を除けば記憶にないくらいだ。凌統は暫くつっ立っていたが、意を決したように隣に座ってきた。こいつ本当に肝が据わってんなぁ。思わず笑うと凌統が睨み付けてきた。その目を俺が求めていたなんて知らずに。

「何笑ってんだっつの」
「いや、凌将軍は度胸があるなと思ってよ」
「喧嘩なら買ってやるぜ」
「お前、俺が怖くねぇのか」

手を伸ばすと凌統は固まった。一昔前のように青ざめることはなかったが、反射で動けないでいるのか答えに窮しているのか、ぴくりとも動かない。
待つことに飽きて体を起こし、凌統の顎を掬って顔を近付けると、奴は勢いよく張り手をかましてきた。しかも両手だ。頬が痺れる。こいつ、自分の腕力分かってんのか?

「痛ってぇ…」
「あっ、つい全力で……いや、つうかあんたが妙なことをしようとしたから!」

凌統が慌てて弁解する。そんなことはどうでも良かった。こいつが俺に反抗した。対抗した。その事実が嬉しいだなんて、どうやらおかしくなっちまったようだ。

「妙なことって?」
「だ、だから、顔を近付けて…」
「それが妙なことなのか?」
「妙だっての。そんなに近付けなくても、話せる」
「俺は別にお前と話すことなんかねぇよ」

からかうのにも飽きて体を離すと、凌統は怪訝な顔をした。あんなにも執着して何度も犯しておきながら、突然…合肥の戦あたりからか、突き放すようになれば当然かもしれない。

「…なぁ。そろそろ教えてくれないか。あんた、何で、……」

声が震えている。こいつが言いたいことは全てを聞かずとも分かった。そりゃ、声に出すだけで屈辱だろう。その口から言わせたいような加虐心が一瞬もたげたが、どうにか押さえつけた。

「何でお前を犯したかって?その上で、お前を救ったことも、避けたこともか?」
「…っ!!」

ギラリと睨み付ける目に怒気が乗った。ゾクゾクする。そうだ、やっぱり俺はこの目が見たかったんだ。鬱陶しがって力で捩じ伏せた途端にこの目が失われ、そこで初めて気が付いたなんて愚か以外の何者でもねぇな。

「知りてぇか?」
「…あぁ。知りたいね。答えによっては…」

その先は言えないようだったが、求めていたものだったような気がする。続きが"あんたを殺す"と言ってくれたら、俺はどんなに嬉しいか。あれだけその態度に腹を立てていたのに、まさか求めるようになるとはな。自分勝手で気違いだと思う。
さぁどう答えてやろうか、と凌統の目を見た途端に、温い風が顔に当たるのが分かった。咄嗟に凌統の手首を掴み立ち上がらせると、さすがに肌の色を落として身を固めた。

「なっ、はな、」
「大雨が来る。走れ」
「えっ?うわっ」

凌統の手を引いて江から少しだけ離れたところにある小屋を目指して走った。


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