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95 走る阿呆に落ちる阿呆



「サイッコウ」

むすっとした凌統と、二人きりで、雨を避ける洞窟内。
真逆の心情を皮肉たっぷり口にしたタレ目に、かえって拍手を送ってやりたくなった。


人を襲う熊が村の近くで出たからどうにかしろと雑な命令を下してきたのは呂蒙のおっさんだった。喧嘩して城を一部破壊したのが大層立腹らしく、お前ら二人で共闘して倒すまで戻って来るなと城を追い出されたのだ。俺も凌統も到底受け入れられず随分抗議したがおっさんの意思は固く、聞く耳を持ってくれねぇ。

「あんたが石垣ぶち壊すから、呂蒙さん本気で怒ってるじゃねぇか!」
「あぁ!?お前が先に節棍で窓枠ぶっ飛ばしたんだろ!アレ無茶苦茶高ぇって陸遜キレてたぜ!」
「そもそもあんたが喧嘩ふっかけてくるからだっつの!」

渋々村に向かう道中で、また言い合いになる。こいついちいち突っかかってくるから本当にうぜぇんだよな。それが移ったのかつい目の前にいるだけで掛けなくてもいい一言を掛けちまう。そんで言い合い殴り合いになり、最終的には武器まで持ち出してやり合う羽目になる。まぁ、戦がない中でヒリヒリする喧嘩ができんのは面白ぇが、熱くなりすぎて破壊して怒られるまでが常なので、やっぱり面倒くせぇ。

「にしても、何でこんな面倒なご命令を…あんたの尻拭いなんざ戦で飽き飽きしてんですけど?」
「俺こそ背がでかすぎて足元お留守のタレ目の世話したかねぇよ」
「…おい、いつ、誰が、足元留守にしたって?」

やべ。売り言葉に買い言葉でまた余計なことを言っちまったか。こいつのむかつく顔見てると言わなくていいことまで口を衝いて出てくる。多分こいつも同じだと思うが、更に互いに沸点が低いのでたちが悪い。一緒に行動させようという考えがおかしい。

「逃げるが勝ちってな…あばよ凌統!先行くぜ!」
「てめえ、ふざけんなっつの!おい待て地図持ってんのあんたじゃねぇか!」

後ろから聞こえる声を無視して雑林を走り抜ける。確かこっちだったよな。面倒ごとはとっとと終わらせるに限るぜ。これ以上凌統といてもまた下らないやり合いしそうだからな。
走っていると血が滾ってきて自然と戦闘欲が湧く。足を動かす度に俺の鈴が嬉しそうに声を上げた。熊だろうが猪だろうが、喧嘩相手になるならなんだっていい。かかってきやがれ!

「うわっ!」

最高潮に盛り上がってきた所だったのに、後ろから聞こえた焦り声に足止めされた。降り向くと、長身が長い髪を靡かせて崖から落ちる瞬間だった。だから言ったろ、足元お留守だってよ。間に合うわけがないのに、何故か俺はその姿を追いかけて崖を滑り下りていた。

「…で?助けに来たってんなら、人も呼ばず道具も持たず単身でお越しになった理由を教えてくれませんかね」
「テメェでヘマしたくせによくそんな口聞けんな!」
「あんたが妙な道突っ走るから悪ぃんでしょうが!」

崖下では受け身を取った凌統がいて、見える限りで負傷はないようだった。それを内心案じてやったというのにこの嫌味だ。こいつ絶対性格の悪さで人生損してるぜ。
立ち上がった凌統が屈伸や跳躍で体の具合を確認する。飛んで着地した途端に足首を気にした様子を見せた。こりゃグネっちまったか。

「そんなに痛みはないけど、軽く捻ったかな」
「悪化するとまずいな。…でよ、凌統。走れるか」
「はぁ?今あんたが悪化がどうのって、」
「一雨来るぜ。浴びたくなきゃ走れ」

そう言って俺が駆け出すと凌統が慌てて付いてくる。ぐちぐち文句は言っているような気もするが、向かう先含め信頼されているようで悪い気はしない。
ようやく見つけた洞穴に入ると雨が降りだした。そうして危機一髪なんとか滑り込んだ凌統は俺をギロリと睨みながら最高と言い放ったのだった。

「本当ついてないにも程があるっての。何でこんな目に遭わなきゃなんないんだか」
「いちいちうるせぇ奴だな。雨に当たらなかっただけ感謝しろや」
「はいはい、ありがたくて泣けてきますよ」

俺に嫌味言ってないと死ぬんだろうなこいつ。そう思いつつ凌統がその身を屈めて石の上に座ったので近付き、足を指差す。凌統は興味がなさそうに「あぁ」と短く返事すると沓を乱暴に脱いだ。
差し出された左足を下から掬い観察する。やや、腫れているかもしれない。

「包帯なんてきれいなもんねぇから、勘弁しろよ」

そう言って頭の鉢巻きを取り、凌統の足にきつく巻く。骨に異常はなさそうなので添え木は要らないだろう。凌統は布をぐるぐる巻く俺を珍しく口も挟まずに見ていた。黙っているだけで具合が悪ぃんじゃねぇかと思うくらい普段からうるせぇので落ち着かない。最後にきっちり結んで処置を終えた。

「おし」
「どうも。さすがに上手いもんだね…全然痛くない」
「無茶して痛ぇっつっても置いてくぜ」
「あんたこの雨の中お一人で帰れるのかい?」
「お前と違って野生育ちなもんでな」
「そりゃ頼もしい。火起こしもよろしく」

そう言って再度沓を履き出した凌統に向けて盛大にため息を吐いたが無視された。体よく全部押し付けてきやがる気だな。ったく俺が誰かの言いなりになるなんざ黄祖の頃じゃ考えられねぇ。
そう言う意味では、殿やおっさんなど指示に従ってもいいと思う相手が増えた。ここ孫呉に降ってからの俺は心底穏やかになったと思う。普段はぬるま湯みてぇに居心地よく、戦となれば烈火の如く熱くなるこの軍は肌に合っていた。
その中で唯一異質で最も面倒くさくだが無視することもできないのがこいつだ。俺を仇と付け狙って殺しを企てていた時期からすれば随分好転したとは思うが、百歩譲っても仲良しこよしは出来そうにない。お互い望んでねぇけど。

「で?この雨いつ止む?」
「言い当てられる程じゃねぇぞ。…あと十分くれぇか」
「あんたが言うならそうなんだろ。寝る」

足を火の方に向けて固くごつごつした岩場に横たわるでかぶつにまた呆れた。まぁ確かに今やれることは一つもねぇ。俺も寝るか。そう思った瞬間に獣の臭いがした。

「おう凌統、寝るには足りねぇもんがあるだろ」
「あぁ。俺温室育ちなもんで、熊さんのお布団がないと眠れないね」
「上質な毛皮の保証はねぇぞ 」
「そこはあんたの腕の見せ所だろ」
「お前、コイツまで俺に押し付けんのかよ!」
「無茶したら置いてくって言ったのどなたでしたっけ。熊さん、寝床取られて大層お怒りだ。ガンバッテ」

体は起こしたようだが立ち上がる気はなさそうだ。信じられねぇこいつ。俺一人でこのでけぇ熊やるのかよ。おっさん共闘しろとか言ってなかったか?何のためにわざわざ手当てしてやったと思ってんだ。

雨に当たりながらハァハァと荒い息を吐く獣を目の前に、本能からかゾクリと血が騒ぐのが分かった。命懸けの戦いの前によく起こるやつだ。へへ、思ってたより大物じゃねぇか。人の味なんざ覚えやがって、こっちこそてめぇを食ってやるぜ!

でかい爪をぶん回してくるのを後退し避ける。外に飛び出し刀で背中を切りつけてみたが毛皮が厚く入らない。図体もでかくて、ソコソコの力で打ち込んだってのに倒れもしねぇ。やっぱ人食い熊って強ぇんだな。どうすっかな。

熊が吠えながら向かってくるのをいちいち避け刀で応戦するがどうにも倒せる気がしねぇし、雨が当たり下りてくる前髪がうぜぇ。鉢巻き寄越しちまったからな、あの阿呆に。その阿呆はというと、持ってきた荷物をごそごそ漁っているところだった。あ、あいつ干し肉食いやがった。熊公押し付けておいてのんびりメシ食いやがって。

興奮した熊は攻撃が大回りなので避けやすい。だが大して痛みも感じてねぇのか、少しずつ手やら足をやらに入れている傷も気にせず暴れ回っている。痛覚のない相手ほど面倒なものはねぇな。

ガァ。
熊が両手を上げ、大きく咆哮した。威嚇してるのだろうが、またとない機会だ。すかさず喉に刀を突っ込む。

「甘寧、3秒で頭下げてな」

緊迫感のない凌統の声がした。刀を深く押し込んでいると熊がまた爪を向けて来たので、数に合わせて屈む。ドス、という鈍い音と共に俺の刀のすぐ真上、同じく喉元に弓矢が刺さった。へぇ、あいつにしちゃ上出来の位置じゃねぇか。
熊が叫びながら腕をぶん回すので腹に蹴りを入れながら下がる。しばらくのたうち回っていた獣は10秒程でようやく地面に沈んだ。にしてもでけぇ。
凌統が空を見てから獣の側まで出てきて、長い足で蹴り死んでいることを確認する。吊られて空を見ると雨が止んでいた。ちゃっかりしてやがんな。

「弓上手くなったな」
「弓矢だけは上等の手本がいますから」
「誰だぁ?俺ぁ弓以外も強ぇから違ぇよな」
「あんたのそういう性格、見習いたいね」

凌統が呆れ顔で見てくるのを横目に、熊の喉から刀と矢を引き抜いた。てらてらと滑る血が生々しい。矢尻を見ようとすると止めとけと制された。やっぱ毒塗ってたのか。

「これ陸遜の作ったやつか?」
「そう。恐ろしい効き目だね」
「んなもん俺がいる時に射つなよ」

もし当たったら即死じゃねぇか。黒い獣が倒れている姿を見てぞっとする。凌統がニヤニヤしながら俺を見た。楽しんでやがるなこいつ。

「あんたには当たらねぇって」

そりゃ、俺が避ける前提なのか、お前が当てない自信があるのか。何でもいいがわざわざ危ないやり方を仕掛けてくるあたり本当に性格が悪い。

「お前そろそろ同士討ちで処罰されるぜ」
「俺が弓構えたの気付いてた癖に、よく言うね」

やっぱ気付いてたのに気付いてたか。分かっていながら本気で殺すことはないという確信で動いているが、これを信頼と呼ぶには些か物騒な気がする。全ては俺の懐が深いおかげだと思う。

「さて、毒が回る前に切っちまわないとね。あんたの刀で解体していい?」
「いいわけねぇだろ」
「残念。熊の血で格好よくしてやろうと思ったのに」
「お前の陰湿さにゃ感服するぜ。…火に当たってくる」

俺ばかり雨に当たっていたのでうすら寒い。熊との対決は命の危機でヒリヒリした場面はあれど、そこまで楽しいもんでもなかったな。凌統の足がいつも通りで一緒に戦ってりゃ、もう少し楽しめたかもしれねぇ。
こいつとは喧嘩ばかりで腹が立つが、戦で一緒に動くのは悪くない。日頃互いに手を出しすぎているせいか、見なくてもそれなりに動きが分かる。あいつが時々、俺が当然避けるものとしてギリギリの所に節棍を振り回しているのも知っている。戦場で遊ぶなよな。そう言うとあんたこそ際どい所に鎖鎌寄越してるだろ、と一度言い合いになったので改めて話題にするこたねぇが。

腰を据えて火に当たりながら凌統を見ると心なしか楽しそうに熊を捌いていた。そりゃお前は疲れてねぇだろうけど。側にあった荷物の中から麻袋を取り出し、力任せに凌統へ放る。ちらとも見ずにそれを掴んで、捌き終えた肉を放り込む姿を見て何だか笑えてきた。
まぁ、色々鬱陶しい部分も多々あるが、凌統といると退屈はしねぇな。

「粗方終わったぜ。俺肉持つから、あんた毛皮な」
「嫌だぜ洗っても鞣してもねぇ汚い皮」
「紳士なもんでね。半裸で寒そうにしてるカシラに譲ってやってんだっつの」
「お気遣いありがとよ、お布団がないと眠れない阿統ちゃんにこそかけてやるぜ」

ばちばちと睨み合う。ほんと、こいつといるとマトモな会話は5分と持たねぇな。いい大人がギャンギャン言い合ってる姿なんざ見苦しいだろうが、殿を始め武将連中は呆れるか笑うかのどっちかだ。見世物にされている自覚はあるのに、気付くとこうなっちまってる。

「おら、日暮れる前に帰るぜ、ちんたら歩いてんじゃねぇ」
「足治ったらぶちのめす」
「おぉ。さっさと治してかかってきやがれ」
「上等」

いつだったか陸遜に楽しそうですねと言われたことがある。俺もこいつもそんなわけねぇだろと反抗し、そんでまた喧嘩になった記憶すらある。
だがまぁ、凌統の憎たらしい顔を見て笑えるくれぇだから、楽しいのかもしれねぇ。

「帰ったら落ちる瞬間のお前の間抜け姿、おっさんに教えてやらねぇと」
「あんたがいきなり馬鹿みたいに突っ走ってったこともちゃんと言えよ」
「…また陸遜にどやされんな」
「大丈夫。今日熊肉あるから。呂蒙さんとこの料理番に頼もう」
「よっしゃ飲もうぜ。こないだ貰った甕のやつ」
「いいねぇ」

重てぇ熊土産片手にお互い雨だの泥だの血だので汚れた顔のまま帰途に着くのは、存外気分が良かった。

【走る阿呆に落ちる阿呆】
似てないようで中身は同じ
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