Long

□リリカルノイズ
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#2 ノーカウント



はっと目を覚ますと、見慣れた天井が映った。べっとりとかいた汗が気持ち悪い。嫌な夢を見ていた気がする。思い出そうとするが、頭を振って中断した。間違いなくろくな内容じゃない。

ぼろくて小さい冷蔵庫から麦茶を取り出して、すすいだだけのコップに注ぐ。冷たいものが喉を通って、少し気分がマシになった。

いつ買ったか思い出せないアナログ時計を見ると、朝の8時すぎ。社会人にしては遅い起床なのがフリーターであることを知らしめている。

ふと目の前のノートパソコンを見て、昨日のことを思い出した。先週久しぶりに上げたオリジナルの曲がややバズり、嬉しいなとのんびり考えていたらついにとある会社からオファーがきたのだ。
メールを見た瞬間はまさかという疑いの気持ちしかなかったが、その場ですぐに連絡を取り、本物の会社であることも確認できた。ここ最近、動画投稿者などを積極的に雇っている中小企業で、ゴちゃんによるとまぁまぁの運営状況らしい。

もしかすると本当に夢が叶うのだろうか。30代半ばにして。

それは嬉しいというよりまだ信じられない気持ちの方が強かった。そして何より、きっかけとなった曲は、手放しで自慢できるものじゃないという事実が悲しい。

メロディもリリックも最高のものができた。感情込めて歌いきったので、歌も自信がある。
だけど、これができたのはあの忌まわしい夜の直後なのだ。あの日あの時に浮かんで口ずさんだメロディからできたなんて、誰にも言えない。

『お前さ、売れるぜ』

忘れようと必死になればなるほど、脳から離れない記憶。初対面で歌を褒めた、刺青の男。――甘寧。名前すら忘れることができていない。

いくつも酒の失敗はしてきたが、まさかこの歳で、泥酔して男に抱かれるような奴がいるだろうか。

「うっ…だから、なしなし!忘れろっての俺の頭!」

思わず独り言が出る。ぎゅっと目を瞑るも、一度意識してしまうと一層あの日の記憶が蘇る。あいつはニヤニヤ笑いながら俺の体を愛撫し、俺はそれにひんひん喘いで感じてしまって、あまつさえケツまで掘られてしまい………

「っ〜〜」

いや、一夜の悪い夢だから!忘れよう!ノーカン!
酒に飲まれてしてしまったセックスなど、カウントしてはいけないと股のゆるい女友達が言っていた。俺はそれにドン引きしていたはずなのに、今はものすごく頷ける。結局類友か。俺は女を酔わせて襲うようなことしないけど。

「…バイト行こう」

こんなことを考えていても堂々巡りだ。一度してしまったことは取り返しがつかないし、いちいち思い出して沈んでの繰り返しには意味がない。

朝食がわりのゼリー飲料を常温のまま吸い上げゴミ箱に捨てると履き慣らしすぎているスニーカーをつっかけて家を出た。


***


「よう、凌統!今日もいい声してんな」


どこかで聞いた声に思わず固まった。

あと少しでお別れかもしれないストリートでいつものように歌っていた金曜夜。街は一週間の仕事から解放された人々で賑わっている。そして、珍しく俺の周りも聞き手で賑わってくれた。バズった曲を歌っている人がいると誰かがSNSにでも書き込んだのか、どんどん人が集まってその曲の最中にはいつもより多くの人が立ち止まってくれた。

曲終わりにたくさん拍手をもらい、いつもより少し多く入れてもらったギターケースを片付けていると、声がかかったのだ。馴れ馴れしいこの声、勝手に名前を呼ぶ男。

「…てめぇ、甘寧、よくもノコノコと顔出せたもんだね」
「おっ、ちゃんと名前覚えてたか。偉い偉い」

強制わいせつ罪で訴えてやろうかこいつ!
だめだ、こいつと口聞くと、あっという間にペースを持っていかれる。うっかり挑発に乗って会話を続けそうになるところ、俺は冷静になって片付けを続けた。
甘寧は作業着のまましゃがみこんで、俺のその様子をまじまじと見ている。くそ、こんな奴に正体を明かすんじゃなかった。単なる騒音のままでいれば、二度と会うことはなかっただろうに。

「なぁ、あの曲良かったぜ。あん時口ずさんでたやつだろ?ああして一つの歌になるってのは、すげぇなぁ」
「…そりゃどうも」
「だから言ったろ、お前売れるってよ」

ニヤニヤと誇らしげに笑う甘寧を一瞬見て、自分でも分かるくらい顔が歪んだ。まさかこいつ、ご自分の予言めいた発言の通りになっただろうとでも言いたいのか?甘寧といた時に浮かんだ曲だからって?鬱陶しいにも程がある。こんなのは無視するに限る。

「じゃ、俺帰るんで」
「つれねぇなぁ。折角だから飲みに行こうぜ」
「行くわけないっつの」
「…SONGO、好きなのか?」
「え?」

突然俺の尊敬してやまないバンドの名前が出たので驚いて振り向く。甘寧が俺のギターケースを指差した。確かにそこにはSONGOのステッカーが貼ってあるが、ロゴはファンでもなければ認識していないだろう。

俺のツボをつきまくるロックバンドだが、世間的にいうとそこまで有名というほどでもない。2年前にメジャーデビューし、これから花が咲くかどうかという段階だ。もちろん俺はインディーズの頃から応援している。

「なんであんたが知ってんの?」
「そらファンだからだろ。俺も好きで、最初から追いかけてるぜ」
「…まじか。初めて会った」

くそ、こいつでなければ両手を上げて万歳し握手でもするところだ。一番好きなアーティストのことを、知っているどころか初めから追いかけているだなんて、物凄く嬉しい。こいつでなきゃ、即カラオケでも行って語り尽くすのに。

「お前のケースに貼ってあるバンド、俺も大体知ってるぜ。趣味合うな」
「…嬉しくねぇっつの」
「そうか?音楽の趣味合うの嬉しいだろ」

あんたじゃなきゃ大喜びだよ。

「うち来るか?家フェスしようぜ」
「だから、行くわけないだろ。あんた自分が何したか忘れたわけじゃないだろうな」
「SONGOの幻のCDって分かるか?それあるぜ」
「…えっ!?」

古参のファンの界隈では有名な曲がある。ワンマンライブでは必ずやってくれるが、インディーズの超初期に遊びで作った曲なのでCDは絶版、再販予定もないものだ。メンバーが若い頃に作られたので勢いがあり、その青春が体現されたような曲は非常にエモい。俺はライブでしか知らずCDを持っていないので、いつも少し悔しい思いをしているのだ。

そ、それが、こいつの家にある?
初めからって、本当にそんな初期から知ってて追いかけてるのか??

いや待て。こいつに何されたか忘れちゃいないだろ、公績。レイプだぞレイプ。それなのにこんなやつの家に行くなんて、信じられるか。大体CDの話だって、罠かもしれないだろ。めちゃくちゃ好きなバンドの幻のCDなんて、物凄く拝みたいが…危険すぎるだろ。

「い、行かねぇっての」
「そのCD、二枚あるんだわ。ちょっとした手違いで買っちまっただけなんだけどよ、一つやるか?」
「………行く」

そんなの欲しいに決まってる!

いざとなれば俺も男だ。こいつをぶん殴って逃げればいい。

  
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