Long

□リリカルノイズ番外編
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ニセモノを除くか、ホンモノを掴むか 一





凌統の手紙を見てカっとなった気持ちは、朧気に現れた記憶とともに少し落ち着いた。労働後で腹は減っていたが、飯を食う気になれず、冷凍庫からウイスキーを引っ張り出してストレートで喉に流す。
窓ガラスに当たる雨の音を聞きながら、俺はガラにもなく感傷に浸った。全身びしょ濡れで立ち尽くす俺とおっさんの絵面を思い出して、芋づる式に自分のことを回想していた。



育ちが良くないと気付いたのは小学生になってからだったと思う。元々深く考えないタチだったこともあり、どこもこんなもんだと思っていたが、やたらと周りから変だと言われてようやく気付いた。

うじゃうじゃと同じ年齢の奴らがいるところは小学校の入学式で初めて見た。周りがピカピカのランドセルや洒落た服を着ているのに対し、俺はそうじゃなかったはずだ。記憶力が良くないので完全には覚えていないが、多分着古した服にどっかから貰ったお下がりのランドセルだったと思う。母親でもないケバい女が一緒だったことは覚えている。なんでアタシが、とぼやかれ、木の陰に隠れて蹴られた。

断片的な記憶も、酷かったと思う。多分俺は小汚くて給食にがっつくような児童で、ついでに親父の影響ですぐ手を出す方だったので、教師にも生徒にも嫌われていた。上級生に目を付けられて、毎日暴力も振るわれたが、日を重ねるごとに避け方や仕返しを覚えていった。学年が上がり、力がついて舎弟みたいなのが出来るとますます調子に乗っていった。

ボロいアパートの汚い玄関ドアを開けて、酒の匂いがしたらその日は外れだ。一週間のうち半分はそうだった気がする。気付かれねえように鞄を置いてまたドアを閉める。成功したら公園に行けるが、失敗したら首根っこ掴まれて八つ当たりされた。親父が酒飲んでイラついている時は、はけ口にされるのが常だった。大人になってから思い返しても、何にキレてたかは分からない。暴力癖のあるアル中にまともな思考回路なんざあるはずもねえ。小学校では威張り散らかしていた俺も、さすがに大人には勝てないと分かっていたため、滅多に親父には反抗しなかった。するだけ無駄だと刷り込まれてたのもある。
親父がいない時に親父の女に叩かれた時は、たまにやり返した。ケガさせちまった時は、その後親父にチクられてボコボコにされた。面倒くせえから逃げた方が勝ちだと思うようになった。

俺が公園に行くと、たいてい先にいた奴らはすぐに逃げ帰っていった。地域でも有名な鼻つまみ者ってわけだ。そん時の俺はそういう奴らをひたすら見下して、孤高の力を手にしていると勘違いしてあざ笑っていた。
それでも、一人だけ帰らないどころか寄ってくる奴がいた。それが呂蒙だ。


初めて会ったのは俺が小学校に上がる前で、こいつは小学生だった。

「お前、ずいぶん汚いな」

初対面のガキにかける言葉じゃねえだろ、と当時思ったような気がする。突然年上の男にそう言われた俺は、いつも通りそれを暴力でねじ伏せようとしてやり返された。そいつは容赦なく俺を地面に叩きのめした。純粋な力で負けた悔しさと、カッケエという感動が混ざって、確か泣いた。

「悪い悪い。あんまり切れのいいパンチだったから、本気を出してしまったな」

苦笑いしながら、俺の髪についた砂をはらい、破れたズボンを心配する(これはたぶん元からだったが)姿に、変な奴、と直感した。

「あんた」
「呂蒙だ」
「……おっさんみてえ」

呂蒙は目をぱちくりさせた後、腹を抱えて笑っていた。俺の記憶は信用ならねえが、これは本当だ。よく覚えている。おっさんは、そんなわけがない、失礼な物言いにゲンコツの一つでも食らわせた、と主張していて、今んところ事実は分かんねえ。それぞれの記憶が真実でいいと思っている。

おっさんとは度々その公園で会うようになった。小学生になって、自分が浮いていることに気付いてからもおっさんは避けねえでいてくれるのが分かって嬉しかった。
東屋のあるそこそこデカい公園で、一緒にアスレチックごっこや戦いごっこをして、時には勉強まで見てもらった。俺は欠片もやる気がなかったが、宿題をみてくれるようになってから教師からの小言が減ったのは助かっていた。

「おっさんヒマなのか?」
「呂蒙と呼べ!花盛りの中学生だぞ!」
「きめえ」

おっさんが食らわせるゲンコツは痛かったが、親父やくそうぜえ上級生や隠れて殴ってくる教師のものとは比べ物にならない温かみがあった。ゴツ、のあとに毎度撫でてきたからだと思う。今思うと、ろくに綺麗にもしてねえ頭に触れてきたおっさんはすげえ度胸がある。他の奴らに接してるとこは見たことがねえが、俺に対して引くことも逃げることもせず、結構な年下だというのに対等に遊んでくれた。大人になって理由を聞くと「単に面白かったから」と平然と言われて、俺はおっさんには多分一生敵わねえなと悟った。

「暇な訳がないだろう。受験生だぞ」
「俺と遊びまくってんじゃねえか」
「人生息抜きは必要だ」
「やっぱりおっさんだな」

振りかざしてくる拳から逃げて、そこから始まる追いかけっこが無性に楽しかった。そんな時間が得られたことを感謝すべきだと気付いたのは、もっと後になってからだった。


***


日が落ちて、道の灯りが点くようになったら帰宅するようにしていた。夜までぶらついて何度か補導され、親父が呼び出されてこっ酷く叱られたからだ。だが、外が暗くなる時間帯は大人が楽しくなるらしく、よく家は空にされた。まあ、いない方が好きに飯を漁れてこっちも都合が良かった。

親父が家にいる時は、機嫌が良けりゃ適当な飯にありつけたが、酒を飲んで暴れてる日は駄目だった。気が済むまで殴られ蹴られ、訳分かんねえことを延々言われる。全身痛むと空腹を忘れられたので、案外痛みさえ我慢すりゃイケると思っていた。

個人的に最悪の夜は女だけいる時だ。俺は今でも親父が何をしに外出してどう金を工面していたのか知らねえが、ブランド物を持った化粧の濃い女どもがよく家に来ていた。色んな女が代わる代わる我が物顔で家にいて、小学生の初めくらいまでは嬉しい日もあった。三人に一人は優しく、菓子などをくれたからだ。
おかしくなったのは十歳を過ぎたくらいだったと思う。カワイイじゃん、と言われて、初めて他人に体を触られた。意味が分かんなかった記憶はあるが、その時のことはよく覚えてない。ショックだったのかもしれねえ。

気付くと、女だけいる日に体を触られたり、愛撫を強要されるようになった。俺の身長が百五十を超えると、そいつらは全員オンナになった。幼少期から親父が女どもとセックスしているところにたまに遭遇していたので、行為には見覚えがありすぎたし、ごくまれにエロ本を寄越してくる上級生がいたので知識もあった。それが良いことなのか悪いことなのか判断はまるで出来なかったが、偉そうにしている女どもが甘い声を上げて喜ぶ様に言いようのない優越感を抱いていた。親父にバレると面倒なので、互いにそこは気を遣った。

小学生最後の冬のある日。その前の晩は親父が不在で、一番胸のでかい女と一晩中行為にふけっていて眠たかった。雪が降ってくそ寒い日だったが、呂蒙は冬でも変わらずに付き合ってくれた。公園内は積雪で埋まり、東屋もその機能を失っていたが、俺らはソリまで持ち込んで相変わらずそこにいた。

「おっさん、ソリの上で勉強はむりじゃねえ?」
「むむぅ。名案だと思ったんだがな」

俺が言えたことじゃねえが、結構抜けてるとこがあると思う。俺みてえなのに付き合うくらいには呂蒙もヤンチャを好む方で、中学受験は結局落ちて程々の公立に行った。だから勝手に馬鹿だと思っていたのに、ロシュクとか言う先生に影響されたらしく、高校に入ってからやけに勉強が楽しいと言うようになった。俺には理解できなかったが、ちょっと、羨ましいなとは思った気がする。

「あー眠ぃ。お、宿題はできねえけど、ベッドにはなるな。寝れる……」
「お前、小学生とは思えんなぁ。何したらそんなに疲れるんだ」

親父の女とヤリまくってた。
その一言は、同じようにスレた仲間や舎弟、偉そうにしている年上連中には言えるのに、呂蒙には言えなかった。呂蒙に引かれんのが、やけに怖かった。

「俺んち、クソだからな。色々あんだよ」
「そうか」

変なとこだけ小賢しくなった俺は、自宅環境を出せば呂蒙がそれ以上突っ込んでこないことが分かっていた。面倒になった時はそれを使うようにしていた俺は、自分のなかにドロのようなものが溜まっていくのを自覚した。
何でも言えそうに見えて、呂蒙に隠していることは結構ある。汚い自分を知られたくない。守ってほしいわけでも深入りしてほしいわけでもなく、このまま時々構ってくれりゃそれでいい。汚い行為で寝不足の俺には、きれいな目で学生を楽しむ呂蒙が眩しかった。

それでもおっさんに当たることはしなかった。おっさん殴って家庭が変わるわけじゃねえし、かと言って助けてくれと言ってもこいつもただの高校生だ。出来ることはないだろう。色んなことを諦めた俺は、呂蒙が語る普通の学生生活が楽しかったし、飽きたら体を動かして遊べればそれでよかった。週二〜三回、多い時はほとんど毎日会う事が出来たのは、おっさんの優しさだと今なら分かる。呂蒙に随分甘えて寄りかかっていただけだということも、後になって身を持って知った。


  
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