執事様の書棚
□涙は背中で語れ〜参〜
3ページ/37ページ
「…もう、噂になってるんですか?」
「そりゃあ、渡り廊下から丸見えだもん」
「言っときますけど、断りましたよ」
「ん。知ってる」
妙の頬に、柔らかな猫っ毛が揺れて触れた。とても優しく――。
「見てたの俺だもん」
とても意地悪に。
「因みに、散蒔いたのも俺」
「サイテー…」
「彼氏に、内緒ってのもサイテーなんじゃないんですかぁ…?」
耳朶に。低い声が、唇が掠めた。
「妙」
妙は、銀八の吐息に身が竦む。声を出そうとして、息を飲む。
云いたい事は、幾らでも有るハズなのに、唇は動かない。
ただ、銀八の衣擦れを耳で拾い、瞳で銀の髪が夕闇に溶けていくのを見つめ、鼻で染み付いた煙草の匂いを捉えて、肌で銀八の体温を感じる。
「――お前は、俺のモンだろ」
焼け付くような。
凍り付くような。
銀八の恋情が、背中を這った。
あ…っ。
妙の肩に、重みが掛かった直後、首筋に小さな痛みを感じた。
途端に、身体が跳ねるように反応する。左手で首筋を押さえて振り向けば、くくり上げていた髪がパサリと下ろされた。
「せっ、先生!」
全ての犯人に、真っ赤になって非難を上げたが、ニヤニヤといやらしい表情は悪びれる様子はない。
妙が、睨み付ければ。
「彼氏にヤキモチ妬かれたんですぅ〜。って言っとけよ」
「何、言ってるんですか!」
ヒュッ。
風を斬って銀八に左の拳を振るえば、紙一重で逃げて行く。
危ねェ…。声にせず銀八は呟くと、行き過ぎた妙の手首を捕らえて握り締めた。
思いの外強い力に、妙はその腕を引き寄せようとしたが、ビクともしない。
「離して…っ」
「悪いのは、妙。だろ」
そう言って、銀八は手を放したが、吊り上がる口端に対してレンズ越しに見えた双眸は妙を見据えていた。
頭の中に警告音が鳴る。
「私…帰ります!」
妙は、派手な音を立てて、椅子から立ち上がる。顔を入り口に向ければ、銀八がもう立ち塞がっていた。
「タイムサービス。行くんだろ?」
「いえ。やっぱり新ちゃんと行きます」
「プリントの仕分けも終わってねェし」
「後、ちょっとですから…先生一人でも直ぐ終わります」
「まだ…訊いてないんだけど――言い訳」
躙り寄って、妙の両手を掬い上げる。左の手首に赤い痕が付いていた。
「それと、手当てしないとな」
銀八は、其れに優しく口付けを落とすと、妙の右手に自分の左手を絡めた。反射的に引っ込めようとしたが、プラプラと彼の腕がくっついてくる。
「先生っ!?此処、学校!」
「逃げねェ…って約束すんなら離してやるよ」
――結局、最後に取っておいた足の甲を踏み躙る技も躱された妙の選択肢は、銀八次第だった…。
〜了〜
.