執事様の書棚

□天に拳を突き上げて
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 <天の邪鬼の何が悪い>





「あっ…」

夕暮れ帰り道に彼を見つけた。
通りの向こう。赤ん坊を肩に乗せて欠伸を一つ。

「男鹿――」

振ろうと上げた手を途中で止めた。
隣に――もう一人。
いつもの綺麗な顔を崩して、柔らかい表情を浮かべた彼女の唇が艶やかに動いていた。彼の仏頂面も、今日は機嫌が良さそうだ。

――夫婦…か…。

くるり。背を向けて歩き出す。
あぁ…今日はこれが、最後のチャンスだったのに。お昼休み、意地を張らないで行けば良かった。

「また明日…」

明日は、少し早起きをして待ってみようか?――って、ストーカーじゃない。

はぁ。

「何だ?溜め息吐くと、幸せが逃げて行くんだぜ」

「ッ!?」

ぼんやり、し過ぎてた。
直ぐ後ろに、彼がいる。気配の読みにくいとは言っても、こんなに近付かれるまで気付かないなんて――。

よっ。

「邦枝、お前も今帰りか?」

「え、ええ。男鹿…も?」

「おう」

「アウ」

最強最悪の名を欲しいままにする彼が、人懐こい笑みで私の前に立つ。夕陽に向けた背中から、赤ん坊が私に向かって手を伸ばす。

「途中まで一緒に帰ろうぜ」

「ダーウ」

え…?と問い掛ける間もなく、彼は私から鞄を奪うと赤ん坊を渡してくる。

「寄り道していーか?コロッケ買ってこーぜ」

「ちょ…男鹿?」

「ん?」

「ヒルダさんは…」

――一緒だった彼女は?と紡ぐ唇をきゅ…と結ぶ。彼女の名を口にする余裕すら、私にはない。不意に俯いた私を彼が覗き込む。
どうした?――ではなく。

「腹減ったのか?」

うん、分かってる。乙女心が分かる男じゃない…って事くらい。

「違うわよ」

「ウソ吐け。なっさけない顔してんぞ。
ほら、行こーぜ」

「ダウ!」

「ベル坊も腹ペコだってよ」

「うん…」

先を歩く彼の三歩後ろを付いていく。
せっかく会えたのに、一緒にいられる事よりもさっきの三人の姿が私の心を澱ませる。

「ダーブ?」

ぺちり。

「ベルちゃんは…私で良いの?」

小さな手の平が、私の頬に触れる。
…暖かい。

ペチリ。

「熱でもあんのか?」

大きな手の平が、私の額に触れる。

「…冷たい」

――って!

「なっ!?な、に、触ってんの!?」

「だってよ、ぼーっとし過ぎだろ。お前」

「そんな事ないわよ!」

「イヤ、ある」

「ないわよ」

「ある」





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