テキスト

□覚悟はいいか
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質の良いソファに腰掛け、身体を預ける。サイフォンで淹れたコーヒーを一口飲んでからゆっくり息を吐き、読みかけの書籍に目を落とし、その世界に入り込もうというとき、突然ガチャガチャと玄関から忙しない音がする。
またか、と先ほどとは違う種類の諦めに似た溜め息をついて栞を挟み本を置いた。
ガチャリ、と鍵は開いたがチェーンをかけてある。
わずかに開いた隙間から越前が恨みがましそうに睨んでいる。

「ねえ、はやく開けてよ」
「来るときはメールくらいしろ」
「いいじゃん、俺と海堂先輩の家なんだから」

そういう問題ではない、食事や風呂やらの準備がある、と言おうとしたが越前がくしゃみをしたので渋々チェーンを外した。
サンキュ、と言いながら上がり込み軽い調子でキスをされる。怒鳴ろうとすればスルッとリビングに逃げられた。

ひょんなことから越前とルームシェアをはじめたが、奔放な越前にほとほと困り果てている。
リビングでは「コーヒーなんて珍しいっスね、…苦!」と、勝手に人のコーヒーを飲んだあげく文句を言っていた。
ブラックなので当たり前だ、と思いつつ渋い顔をしている越前がなんとなく不憫で、仕方なくココアを淹れてテーブルに置き、ダラダラとテレビを観ている越前の隣りに座った。ココアにはラテアート付きだ。
ココアと海堂の顔を見比べて目を丸くしていたが、サンキュ、と嫌に様になる笑顔で唇を重ねてきた。

「てめえは普通に礼も言えねえのか!」
「ん?口直しの意味も兼ねて?」

しゃあしゃあと言いのける越前に、甘やかすのではなかったと悔やむしかない。
睨むように越前を見やるが、ココアを美味しそうに飲んでいて気がそがれた。23歳になって随分と大人びたが、それでも時折子どもじみた表情をするので、つい絆されてしまう。
ふと越前がこちらを見て、珍しく伺いを立てるように話しかけてきた。

「先輩、これにブランデーいれて」
「はあ?てめえアルコールたいして強くねえだろ」
「ちょっとだけ」

寒いんスよ、ね?と上目遣いにお願いされているが、越前が酔うと面倒なことになる。以前一緒に呑んだときは、始終擦り寄ってキスばかりせがんできて、躱すのに一苦労した思い出がある。
しかし越前は諦めずにずっと纏わり付いているし、最終的には量も考えず自分でドバドバ入れるに違いない。それなら海堂が適量入れて満足させたほうがまだいい。
少しだけな、と前置きを置いてから立ち上がり、身体が温まる程度の少量のブランデーを加える。戻って手渡すと嬉しそうに両手で持ち冷ましながら飲んだ。
態度だけでなく図体もデカくなった越前だが、こういうところは素直で可愛げがある。
ポンポンと頭を撫でるように軽く叩くと、一瞬驚いたような顔をするが、ごにょごにょと「オレもう大人なんスけど」と唇を尖らせてされるがままになっている。
チラ、とこちらを窺って猫がするように頭を擦り寄せてきた。あれだけの量でもう酔ったのか、弱過ぎるのではないか、と訝しむが、目は潤んで頬は紅潮し息も荒い。間違いなく酔っているようだ。

「酒、弱過ぎんだろ。」
「酔ってないっスよ」

酔ってんじゃねえか、酔ってない、の押し問答を繰り返す内にズルズルとソファに押し倒されるような形になっていった。のしかかるように海堂の肩口に顎を乗せ、耳元で「海堂先輩」と呼ばれる。くすぐったい。

「重い、どけ」
「やだ」

ちゅ、と軽い音を立てて首に吸い付かれ、身体が跳ねた。悪酔いにもほどがある、急いで退かそうと試みるも、成人した男にのしかかられているのだ、そう容易くはいかなかった。

「先輩、海堂先輩」

じっとり汗ばんだ海堂の手のひらを擽るように撫でて指を絡ませてくる。越前の左手の指輪が当たり、そう言えば虫除けに、と同じ指輪を貰ったことを思い出す。
左利きなのに左手に指輪を付けるのは不便ではないのかと何度か訊いたことがあったが、海堂の左手を取りその指輪を撫でながら曖昧に笑っていた。

そんなことを思い出す内に段々とエスカレートしてきた。空いてる手でいつも越前を起こすときのようにバンバンと背中を叩き、いい加減にしろと怒鳴った。

「悪酔いしてんじゃねえ!」
「酔ってないって…、いや、いいよ、酔ったせいにしてさ」

越前の細く形の良い指が、海堂の
汗で額に張り付いた前髪を掻き上げ、額から頬、顎先に滑る。
諦めにも似た今にも泣き出しそうな顔で、一拍、躊躇うように間を置いて、言った。

「オレに抱かれてよ」

声が出なかった。それどころか身動きすら出来ず、越前の瞳に張った透明の膜を只々見ることしか。
瞬くと膜が揺らいで長い睫毛を伝い、雨の降りはじめのようにぽたりぽたりと海堂の頬を濡らしていく。

感じていた違和感が溶け出しては押し寄せる。

ルームシェアに始まり、行き過ぎたスキンシップ、ペアリング、そう考えると辻褄が合う、それ以前にあまりの自分の鈍感さに嫌気がさしたくらいだった。


「お前、俺が好きなのか」
「…気付くの、遅いんスけど」


赤い鼻を啜りながら越前が笑っている。確かに鈍感だったかもしれないが、一言だって越前はそんなことを言ったことはないはずだ。
腑に落ちないままに睨むと、不服そうに「気付くでしょ、フツー」と反論された。

「わ、わかるわけねえだろ、順序を考えろ、順序を!」
「『好きです、抱かせてください』?」
「違う!」
「何なんスか、わがままっスよ」

やれやれ、というように首を振る越前に息を荒げて怒る。
そもそも越前が最初から好きだと言っていればこんなことにはならなかった。しかし、そう言われていたら、どうしていたのだろう。
着衣の乱れを直し、越前と何となく距離を取りつつ考えるが、答えは出ない。

「…そんなに警戒しないでよ、けっこー傷付くんスけど…」
「わ、悪い…」
「否定してくれないんスね、まあいいけど…」

深い溜息を吐いて、最初は、と越前が切り出した。
最初はただ側にいたかった、少しでも意識してもらえたら良かった、それなのに同居人の後輩扱いのまま。

「プロポーズまでしたのに」

ソファが軋んで、越前が海堂の左手を手に取った。海堂は、本気で虫除け商品だと思って台所に置こうとした過去の自分を叱りつけたい衝動に駆られた。
さすがに申し訳なくて俯いていると、ツ、と顎先に手を添えられて前を向かされる。

「別に責めてるわけじゃないっスよ、言ったじゃん、意識してほしい、って」

ゆっくり顔を近づけてくる越前に、反射的に目を強く瞑った。だが、ふにゅ、と当たったのは唇にではなく頬にだった。
普段は強引に奪っていくのに、奴らしくない。

「次は唇にするから、嫌だったら言って。」

返事をする間もなく、軽く唇が重なった。狼狽えていると今度は少し長めに塞がれる。どう反応して良いのかわからず越前と目を合わせるが、とろんとした瞳は先程泣いた名残で睫毛と共に濡れ妙に色気があって、見知らぬ人間のようにすら思えた。

「ドキドキする?…嫌じゃない?」

いつものように冗談めかさず、尊大な態度でもなく、海堂の頬にそっと触れて心配そうに窺ってきて、ますます困惑する。
確かに全身汗が滲んで心臓は早鐘を打っているし、嫌ではない、気がする。しかしそれが空気に流されてしまっているだけだという線も捨てきれない。
ただ、いい加減な気持ちでは答えられないことだけは確かだ。

「いいっスよ、先輩流されやすいから、ゆっくりで。」

名残惜しそうにもう一度だけ唇を重ね、越前は離れた。それを少しだけ残念に思う気持ちに、海堂はまた困惑した。

そして越前はすっかり冷めたココアを飲みながら

「オレも誰かさんのおかげでしつこくなったから、覚悟してよね」

と、変わらない生意気な態度で笑った。

END

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