テキスト

□傷痕
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軽度の流血表現があります



海堂にとって越前は、一言では言い現わし辛い存在になっていた。
絶対に倒す相手、大事な後輩、どちらも正しいとも言えるし、違うとも言える。
ぐつぐつ煮えたぎるような熱情と、どろどろと足元から浸されていく激情が綯い交ぜになって、身動きが取れない。

初恋は甘酸っぱいなんて、とんだ嘘っぱちだ。

海堂は、越前にどうしようもない劣情を持って囚われてしまった。


思えば、幼稚園の先生が好きだったかもしれないし、小学生のときの同級生が好きだったかもしれない。そのときは確かにふわふわと甘く柔らかい気持ちでもって過ごしていた。それが初恋だというなら頷ける。
それなら今持ち得ているこの感情はいったいなんだと言うのか。
恋というには血生臭いし、愛と呼ぶには泥まみれだ。



「なに考えてるんスか」


現実に引き戻す声に、はたと気付く。すっかり日の落ちた今、窓の外は黒い絵の具をぶち撒けたように真っ暗だ。
海堂は部室のベンチに座って、越前が目の前に立っている。海堂の隣におざなりに置かれた救急箱が白々しい。
海堂の前髪を掻き上げて、うっすらと残る傷痕に、越前は舌を這わせている。
いつからか、おおよそで言えば傷が塞がりかさぶたすら取れた頃。このもはや儀式めいた治療と言う名の行為が続いていた。
傷痕が性感帯になる、なんて俗説があるらしい。馬鹿げている話だ。そう思っていた海堂は、ぬめる舌先にきつく目を閉じて堪えた。
正しく海堂の傷痕は性感帯に成り得ていた。
傷口は塞がってはいるが、組織は再生しきれずに、白く奇妙に盛り上がって明らかに正常な皮膚とは違っていた。
別に女性ではないからと気にしてはいないが、こんな弊害があるなんて。

髪の生え際、傷痕、となぞられていくたびに情けなく声があがる。
走っても息切れすることなんて早々ないのに、今は呼吸の仕方を忘れたように短く浅い呼吸しか出来ない。


「オレは平気なんだけど」


と、笑う越前は、言外に「ヘンタイ」と含ませている。それにすら快感を拾い上げる海堂は本当に感受性の豊かな変態なのかもしれない。
決して軽蔑してるわけではないのは、越前の瞳を見ればわかる。ぐつぐつグラグラ、甚振りたい、慈しみたい、様々な感情が複雑に絡んで、興奮しているのが伝わってくる。きっと今の海堂も同じような色を持って越前を見つめ返しているだろう。

負けじと越前の瞼にうっすらと残る傷痕に同じように舌を這わせるが、「くすぐったい」と笑うだけで、悔しくなってしまう。
軽く肩を押され、おとなしく横たわる。
こんなことを許し許される程度にはお互いに理解し合っているが、驚くことに好きだと告げたことはない。
付き合ってもないし、もちろんキスもそれ以上もしない、「治療」というまさしく傷の舐め合いをしているだけだ。
とにかく、触れ合うことに理由が必要で、それがただ傷痕であったという、それだけだった。

越前が恭しく膝の傷痕に唇を付ける。額よりも醜く引きつった痕を殊更丁寧に舐められ、身体が跳ねる。
舌の先端を尖らせて抉られるようにされると、すっかり治ったはずの傷がじんじんと熱を持ち始める。
広がる熱にまるで過去の海堂の行いを責め立てられているようで、息が乱れて火照っていってしまう。


「海堂先輩」


意地悪く口端を釣り上げた越前が、しっかりと海堂の視線を向けさせて、大きく唇を開いた。
いやだ、やめろ、だめだ、と言う前に、その尖った歯が海堂の傷痕に柔らかく食い込んだ。


「っひ、」


甘く痺れるその衝撃を逃す術もなく、ただ背を反らせ、あろうことか一度も触れていないのに達してしまった。
犬歯が擦れてうっすらと血が滲んでいるのがわかる。それを労わる様に啄ばまれ、ぴりぴりとした痛みが性感となって逆効果にしかならない。それすらも越前が狙っているのかもしれないが、真意はわからない。

この「治療」を始めてから、生傷が絶えない。こつん、と爪先に救急箱が当たるが、使われたことはなかった。うっすらとした痕になり、それを越前がなぞり、また傷をつけられる。
すっかり蕩けきった顔で越前が海堂に乗り上がり、唇を指先でなぞる。

きっとお互いに同じことを思って期待に満ちた甘い吐息を零している。
ぐ、と唇に歯を食い込ませれば、じわりと血が滲んだ。
越前はそれを指先に絡ませて、すーっと唇の端から端へ伸ばしていく。恍惚とした表情で息を吐いたあと、とろりと蜜を纏った越前の舌が、ぷつりぷつりと溢れるそれに触れた。
海堂の口内にも広がるそれは確かに鉄の味でしかないのに、越前の唾液が混じっていることを認識しただけでとびきり甘いものに感じる。
身体の芯から揺さぶられるような多幸感に下半身の不快感なんてすっかり忘れて、越前の背中を掻き抱いた。


もはや用の無くなった救急箱は、弾みで蹴らればらばらと中身を散らばしていた。

end

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