テキスト

□梅雨
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誰からも歓迎されない梅雨時。越前ももちろんその1人だ。
今日は午後から雨が降っていて、クラスの女生徒は湿気で髪がまとまらないと嘆いていた。
もとより癖っ毛で無頓着な越前は髪を一房掴んでみるが、違いがわからずすぐに興味を失くした。
越前としてはテニスが出来なくなるから、という理由しかない。
なおかつ部活の休みを見越して図書委員の仕事を押し付けられるのが厄介だ。

「おすすめの本と感想を一言書いて」などと越前に最も不向きと言っていい仕事を頼まれ、辟易した。

図書室のカウンターに腕をついて、こういったものは読書家に頼むべきだと、窓際に座る海堂をぼんやりと眺めた。
海堂が部活のない日にこうして図書室に通っていることを知ったのは割と最近で、サボり気味だった委員の仕事を逃すまいと首根っこを掴まれて渋々カウンターに座っていたときに海堂と出くわしたのだった。
お互いに予想外の場所で出会ったのでしばらく固まってしまったが、舌打ちをしながら本と個人の貸出カードを差し出してきて、早くしろとせっつかれた。
びっしりと書き込まれたそれをみて「うわあ…」と声を出してしまって睨まれたのだった。
あんなに読むなんて気が知れない。まだ6月だと言うのに、すでにカードには裏面まで書き込まれていた。


窓の外には紫陽花の株が植わっていて、ここ数日で鮮やかに色付きはじめている。緑の葉と紫と青、赤やピンクの花弁がしっとり濡れ、より一層濃さを増して、妙に海堂とマッチしていた。
しとしとと降る雨は、柔らかくこの空間を包むようにいつも遠くから聴こえる生徒達の笑い声や掛け声を消してしまって、まるで外界から遮断されているように感じる。

雨の日の利用者は多い。それでも、雨に音を消されたかのように咳払いや椅子を引く音すらなく、ひっそりと静まり返っている。


薄暗い灰色の空と雨の音だけの世界は、夢の中のようで瞼が重くなってくる。


うつらうつらと船を漕ぐ。
夢か現実かすらもぼやけているが、はっきりと色付いた紫陽花と海堂だけが現実だと告げている。
ベタベタと汗ばむ腕を枕に、いよいよ眠る体勢をとる。
海堂と目が合ったような気がするが、もはや半分以上瞑った瞳では目が合ったとは言わないだろう。
本日の業務は終了、本の貸し出しは明日以降オレ以外にお願いシマス、と脳内で自分勝手なことを考えつつ、意識を手放した。


心地よいBGMと化していたチャイムが、いよいよ下校時刻を告げる。人間の身体はよくできている、それ以外のチャイムで起きることはなかったのだから。
無理な体勢で寝ていたから身体の節々が痛む。あくびがてら両腕を上に持ち上げた。
しかし、途中で何かに当たった。その何かは低い声で「ふざけんな」と怒りを露わにしている。


「わざとかてめえ」
「いや、なんで目の前にいるんスか」


顎に当たったのか、そこを押さえながら、なぜか目の前にいた海堂に睨まれる。
あたりを見回すと、もう利用者は誰もいなかった。


「てめえが施錠するんだろうが、そうじゃなきゃ放っておく」
「…ああ、起こそうとしてくれたんスね、ドモ」

あくびをしながらそう言うと、海堂の口元がひくついてまた小言が飛んできそうだったので、「ほら、早く利用者の方は出てください」と鍵を回しながらわざとらしく急かした。

くそ、と悪態を吐きつつも、真面目な海堂は大人しく言うことをきく。
施錠をし、あとは鍵を隣りの図書準備室にいる司書に渡せば終わりだ。


「じゃ、これ返すんで」

言外にここでさようなら、を込めて後ろを振り向くが、海堂は唇を尖らせてもごもごと何かを伝えようとしている。
珍しく歯切れの悪い海堂を訝しんで、下から覗き込むように窺うと、観念したように「傘」と呟いた。


「今日、傘、持ってきてんのか」
「ああ、そういうこと。持ってきてないっスけど、テキトーに置き傘借りようかなって」


午後に降るから傘を持てと、家を出る前に母に言われた気もするが、寝起きの頭では半分も伝わらない。
ラケットバッグさえ背負ってくれば後はなんとでもなる。
飄々とした態度の越前に、やはり真面目な海堂は納得のいかない様子で、「勝手に借りたらだめだろ」と文句を言っている。


「持ちつ持たれつ、ってやつっスよ」


司書へ鍵を返し、昇降口へと向かう。結局行き先は同じなので必然的に一緒に歩いている。妙な感じだ。
外履きを雑に引っ掛け、 傘立てを物色するが、残っている傘といえば破けていたり骨が折れていたりで使い物になりそうにない。


「ちぇ」
「行き当たりばったりでバチが当たったんじゃねえのか」


ふん、と鼻を鳴らして大きく丈夫な傘を開いた海堂は、それでも足を進めずにそこに立っている。
開けられた右側のスペースに、にんまりと口角が上がっていく。


「持ちつ持たれつ、っスよね」
「貸しひとつだからな」
「けち」


灰色の空に映える紫陽花の色彩よりもずっと、間近で見る凛とした白の開襟シャツが目に眩しい。
特に何を話すでもなく、柔らかく傘を叩く雨の音が心地よく聞き入っていた。
靴に染み込む水も、じっとりとまとわりつくような湿度も、押し付けられる仕事も、テニスが出来ない鬱憤も、傘一つで外界から切り取られた世界では意味を為さなかった。


「明日も雨っスかね」
「だろうな。傘、忘れんなよ」
「フリ、ってやつっスか」


ムキになって言い返す海堂にくつくつと笑いかえす。
ぺたりと時々触れ合う腕が妙に熱く、不快なはずのそれが心地良い。
あんなにも疎んでいたはずの雨なのに、越前は明日もそれを願って、傘は持ってこないことを決めた。


end

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