テキスト

□夢
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薄く膜を張ったようなぼんやりとした風景。
所々違和感を感じつつも、こういうものだと脳が認識して構成されてゆく。

いつも通りのはずの学校のコートに立ち、ストレッチをはじめる。近づいてくる相手は、確かに最近よく絡んでくる後輩で、ただ表情が珍しく申し訳なさそうに歪んでいた。

「ごめんね、海堂先輩。」
「は?」

突然謝られ、訳も分からずあたりを見回せば、部員がニヤニヤと笑って「あーあー」と茶化してくる。
嫌な予感に汗が吹き出る。
いつもは察しが悪いと言われる海堂だが、何故だかすぐに居心地の悪さを覚えた。
何故、の理由は定かではない。


「先輩の気持ちには、応えられないっス」


追い打ちをかけるように、苦笑いの後輩が、再度謝る。
いやいやいや、違うだろ、と慌てて口を開く。


「何だそれは、いつ、どこで、俺が、貴様を、す、す、…好きと言った!?」


虚勢をはって強がりを言った聞き分けのない子どもをあやすように頭を撫でられ、それしかインプットされていないかのように再三「ごめんね」と告げられた。


「…なわけあるか!」


自分のさけび声で目覚めるという、最悪の起き方をした海堂は、ぐっしょりと汗で濡れたタンクトップを忌々しげに掴んだ。

なんという夢だろうか。
おかしいと思った、それもそのはずだ。

夢の中の世界では、海堂は後輩が好きで、けれどフラれるという身も蓋もないことが起こっていたのだから。
誰に言い訳をするでもなく、海堂は憤る。
好きなはずがない。自分の夢のくせに全く思い通りにならない。

それもこれも、後輩である越前リョーマがことあるごとに絡んでくるからだ、と怒りに任せて濡れて重くなったタンクトップを洗濯機に入れ、乱暴にシャワーのコックを捻り頭を冷やすべく冷水を浴びた。


朝練に行く前にランニングで汗を流しても、母特製の朝ごはんを食べても、気持ちは晴れず、いつもの数割り増しに人相が悪かった。
すれ違う下級生や同級生が道を作るほどだから、よほどなのだろう。
夢は深層心理が反映されるとか何とか、ということは実は自分は越前が…と考えては打ち消し、次第に頭が回らなくなってきてしまった。
そんな中で悠々とあくびをしながら「ちーす」とあいさつをしてくる存在など、ひとりしかいない。

「うわ、すごい顔っスね」
「貴様のせいだろうが」
「オレ?」

ギロリと睨まれ八つ当たりでしかない言葉を吐かれても、越前は楽しげに目を細めるだけだった。

「オレのこと考えて眠れなかったんスか?」

いつもの軽口のはずだが、今の海堂には刺激にしかならない。イライラしていく海堂の雰囲気に臆さず、目を丸くして顔を近づけてくる。
その距離に嫌でも夢での出来事が重なって、地の底から這うような低い声で威嚇する。

「…んだよ、近寄んじゃねえ」
「…先輩、本当に今日おかしいっスよ。体調悪いんスか」

テニス以外では珍しい真剣な表情で覗き込んでくる越前に、罪悪感でたまらなくなる。
『勝手に越前の夢を見て、勝手に気まずくなって、勝手に八つ当たりをしているだけ』とはとてもではないが言えたものではない。

眉間に寄る皺を解いて、フシュー…と長く長く吐き出せば、少しだけ気持ちが上向いた。


「…悪かった、なんでもねえから離れろ」


それを無理して気丈に振る舞うように感じたのか、越前はサッと表情を曇らせて海堂の腕を掴んだ。


「海堂先輩、保健室いこ」


有無を言わさぬ気迫に圧されて、大石副部長に保健室連れて行きますと告げる越前の背中を呆然と見ていた。
いや、こんなサボりが許されるはずがないと足に力を入れてその場から動かずにいると、越前に掴まれた腕をぐっと引っ張られてたたらを踏む。


「ダメ。行くよ、先輩」
「…おう」


後輩に力負けした。
先輩としてのメンツも何もあったものではない。あまりのショックに放心してしまう。
体調が悪いと思われて、心配する声しかないことが余計に抉られていく。
夢よりもよほど泣きたくなる事態に俯くしかない。


保健室のドアには不在のプレートがあったが、鍵は開いていた。越前は遠慮なくガラリと開け、勝手知ったるとばかりに棚を漁りだし体温計を渡してきた。


「はい、挟んで」
「いや、どこも」
「早く」


鬼気迫ると言わんばかりで、おとなしく腋に挟んだ。これで熱もなく、越前が納得すれば朝練へと戻れる。
計るまでの時間が長く感じて、ひたすら気まずい。


「もういいから、お前は朝練に戻れ」
「ダメ。そんな顔色の人ほっとけないデショ」
「いやだから…」


ピピ、と電子音が鳴り、安堵した。これで越前に印籠が如く突き出して納得してもらうしかない。

しかしそこにある数字が何度見てもおかしく、目を擦った。
じわりとボヤける視界に、目が悪くなったのかとひとり頷いたが、かすめ取った体温計を見て、越前がため息を吐いた。


「ねえ」
「越前、体温計壊れてんぞ」
「38度3分」
「壊れてんだろ」
「変だと思ったんスよね」


壊れているはずの体温計を片手に、越前はベッドまで海堂の手をゆっくりと引いた。
足がふらふらとする。勝手に滲む涙で越前がボヤける。
数字に出されると、途端に体調が悪くなることがあるが、まさにそれで、認めざるを得なかった。


「顔色悪いし、息荒いし、力入ってないし、目なんかウルウルして」


反論しようと口を開くが、越前のひんやりした手が額を覆い、それが存外気持ちよくて唇を閉じた。


「なんか風邪引くようなことしたんスか?」


ぎしり、と軋むスプリングに身を任せ横になる。
そんなの、汗をかいて冷水を浴びたことしか思い浮かばない。


「お前が…」
「オレのせい?」


柔らかく微笑まれて居た堪れなくなる。
自業自得で自己管理不足。情けなくて悔しくて、八つ当たりした自分が恥ずかしい。
それでも滲む涙をそっと拭う冷たい指先に離れて欲しくなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
すべて熱のせいにしてしまいたい。


「お前なんか…好きじゃない…」
「なんスかそれ」
「それなのにフるんじゃねえ…」
「熱あがってきた?」


包むように頬に両手を当てられて心地よさにほぅっと息を吐く。
汗ばんで引っ付いた前髪を優しくかきあげられて額同士がくっついた。


「いいっスよ、オレのせいで。でも、元気になったら」
「…なんだよ」
「今の言葉、撤回して」
「…おう…?」
「わかってないっスよね、それ。」

とろりと瞼が重くなって、思考がまとまらなくなってゆく。
眠りの淵で、額にちゅ、と軽い音を立てて柔らかいものが当たったが、もう何も考えられず意識を手離した。


今度はきっと、悪い夢はみない。

end

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