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□拍手ログ
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拍手ログF

休み時間、がやがやと騒がしい教室に、珍しい来客が現れた。
「海堂くん、一年の子が呼んでるよ」と、クラスの女子が恐々と話しかける。


訝しげに教室のドアを見ると、生意気な一年の姿があった。
こちらに用があるとは思えない相手に、疑問符を浮かべる。


「何の用だてめえ」
「辞書貸して欲しいんスけど」


眉間に皺を寄せてきいてみれば、実に真面目な内容で拍子抜けしてしまった。しかし何故わざわざ海堂なのか、理由がわからなかった。


「あ?何でわざわざ…、他のクラスの一年に借りればいいだろ」
「よく知らないし」
「じゃあ桃城の野郎にでも」
「持ってるように見えるんスか」


確かに。
それにいくら越前でも3年の教室に行くのは気が引けるのかもしれない。後輩の申し出に特に断る理由もなく、鞄から辞書を取り出し渡した。


「どーも。…思ったよりボロボロっスね」
「普通に使ってればそのくらいくたびれるだろ」


越前は珍しいモノでも見るように使い込まれた辞書を見つめている。なんだか居心地が悪くてその辞書を掴んだ。


「嫌なら返せ」
「え、そんなんじゃないっス。アリガタク借りていきます!」


素早く辞書を手にして、越前は慌ただしく去って行った。
珍しく取り乱した様子の越前に、少しだけ首をひねったが、答えが出るわけもなく、何事もなく席へと戻った。



*******


越前は珍しく慌てていた。
最近妙におかしな気持ちになっていたのだ。ドキドキするような、ふわふわするような、もやもやするような、そんな感覚だった。
それは、海堂をみているとそうなる。何となく思い当たる感情はあったが、相手はあの海堂だ。テニスをして動悸が上がったときにたまたま海堂をみてしまって脳が勘違いしているのかもしれない。そうとしか思えなかった。
そんな感情を確かめるべく、越前は理由をつけて辞書を借りに行った。
息が切れていない状態ならば、脳も勘違いしないはずだからだと。

実際会ってみれば、やはりどうということもない。
勘違いに、安堵とほんの少し寂しがる気持ちが込み上げる。

渡された辞書は、予想に反してボロボロだった。疑問に返された言葉に、テニス以外でも努力家な一面を垣間見て辞書を凝視した。

そこで海堂は何を思ったのか、突然越前の手ごと辞書を掴んできた。一気に体温が上昇する。

わけがわからず、辞書を引っ掴んで適当なことを言って走り去った。
変に思われたかもしれない。しかし、なりふり構っていられなかった。

勘違いかもしれない、そうじゃないかもしれない。
感情がない交ぜになりよくわからず、教室で意味もなくパラパラと借りてきた辞書をめくる。


ぱっと目に飛び込んできた字は



だった。
今一番近い感情を辞書に言い当てられた気がして、なんだか恥ずかしくなる。

「越前勉強かー?」と軽快に堀尾が話しかけてくる。カツオやカチローも「リョーマくんが辞書引いてるなんて珍しいね」と近づいてきた。

「…ねえ、修正液持ってる?」
「あ、あるよ」
「ん、サンキュ」


借りた修正液のキャップを外し、先ほどの文字を思い切り塗りつぶした。


「あー!な、なにやってんだよ!」
「そ、それ、さっき、海堂先輩に借りてきたやつじゃないの!?」
「こ、殺されちゃうよ!」


一様に騒ぎ立てているが、聞こえないふりをして、恋という字を塗りつぶしていく。
辞書に、この気持ちの答えを出して欲しくなどない。


海堂にこの辞書を返したら、いつかは修正液で塗りつぶしたことがバレるかもしれない。
それでもまだ、気づかないでいてほしい。


いつかこの気持ちに整理がついたら、文字を書き足して、謝って、そしてきちんと言うから、それまではどうか。


END
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