テキスト

□すでに、手遅れ
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ぽたり、と落ちる汗が床にじわりと染みを作る。
それはすぐに消え失せるが、海堂の不安はそのままじわりじわりと広がって、消えることはなかった。


「ねえ海堂先輩アイツ誰なんであんなに楽しそうだったのオレよりアイツがいいのそんなのダメ先輩はオレだけみててだってそうじゃなきゃおかしいデショ、好き好き先輩アイシテル」


一言一句澱むことなく発せられるまるで呪詛のような言葉を、目の前にいる越前は一息にまくし立てた。


ああ、しまった、と人気の無い廊下を歩いていたことを海堂は悔やんだ。
いきなり腕を掴まれて、使用されていない空き教室に連れ込まれ、これである。
ただの先輩後輩でしかなかったのに、いつからか越前の態度がおかしくなっていた。
気付いたときにはすでに手遅れだったのだが。


ぎゅ、と抱き付いてくる越前の肩を押し返したが、『先輩からオレに触ってくれた』と喜ばせるだけだった。
どこまでも透明で澄んだ瞳に、どこまでも困惑している海堂の姿が映る。


「先輩、可愛い」


頬に伸ばされた手を反射的にはらった。
それでも越前は澄んだ瞳を細めて、口を歪めて笑う。笑顔、と呼ぶには不気味なものだった。


「先輩が、また触ってくれた。」


はたかれた手を愛おしむように撫で、頬を寄せる。挙句の果てにちゅ、と音をたてて口付けている。
海堂の不安が恐怖に変わっていく。


「いい加減にしろ…!気持ち悪いんだよ!」


激昂した海堂を、きょとんとしたまあるい瞳が映す。
越前の瞳はこんなにも鏡のように澄んでいるというのに。


「海堂先輩って、やっぱり可愛いっスよね」


ふ、と笑う越前が首に腕を回して顔を覗き込んでくる。
振りはらいたいのに、越前の瞳に囚われてうまくいかない。


「ねえ、先輩。」


正確には、越前の瞳に映った自分の顔に、だった。
殊更歪む越前の唇がゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
脳が、その言葉を聞いたら戻れないことを告げるが、耳を塞ぐことも越前の口を塞ぐことも出来ず、ただただ、囚われる。



「そんなに嬉しそうな顔しちゃって」



どこまでも透明で鏡のように澄んだ越前の瞳。
そこには、愉悦に溺れきった表情の海堂がいた。




(ああ、そうだ)
(越前の視線を独占して)
(いつからか、それが)
(どうしようもなく)
(愛おしい、だなんて)



END

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