いち

□最期のときに
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己も人であったのだ。

少しばかりの安堵と、多大な口惜しさが広がる。病を得てから幾年経ただろうか。
呼吸の度に軋むようになった肺腑には、まだ慣れない。おかしな音と、抑えられない衝動とともに来る咳嗽のために、もはや忍び働きはできなくなっていた。
もっとも、もうさほど活躍の場も残ってはいないのだが。

柳生に気付かれた。そこがことの発端であった。隠し通せたとまでは言わないが、もう少し知られぬ期間を伸ばせたはずだ。

『半蔵どの、あんた。』

気配にすら気付かぬほどに余裕をなくしていたのだ。病とは恐ろしい、と、他人事のように思った。


ほどなくして、主の泰平は成った。
表面上は。
抗う気がないのではない。抗うだけの力が、残っていないのだ。
では、時が経ち力が蓄えられればどうなる。

答えは明白である。

半蔵の直感が告げていた。

男を葬れ、と。

『半蔵、しばし休め。』

その言葉の意味を、分からないほど愚かではない
ただ、その言葉に順よく従うほど聡くもない。
主はどこまでも寛大であり、どこまでも相手のことを想うのだ。たとえその先の結末が知れていようとも。

主があの男を生かした理由。そんなものは知らずともよい、と、己に嘘をついた。
知ってしまえば、殺すこと叶わず。
主の思いに背いた、己を呪うことはない。
主が生きるためならば、鬼にもなると決めたのだ。


半蔵は小さな丘の小高い木の上に居た。風の囁きに耳を傾け、鳥の囀ずりに心寄せ。思い切り吸い込んだ空気には色濃い緑の薫りが混ざる。
太陽が、眩しくて暖かだ。

その暖かさは、知っている。
陽の在るところに、陰はあるのだから。

きらり、
光を反射する刃を眺めた。刃先を撫でれば、さくりと肉が裂け赤い液体が滲み出した。
およそこの場に似つかわしくないもの、ふたつ。

骨肉を別つための刃物と、強烈な殺意。

半蔵の目に、若い男女が映し出された。





 
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