壱
□靄の向こうに置き忘れた記憶
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「久秀、頼みがあるのだ。」
床に伏した主、長慶がふと眼を開きどこを見ているとも分からぬ目線で天を仰ぎ見ながら呟いた。
親類を亡くしてからというもの長慶様はふさぎ込み心身を病んでいった。
眠りに就いたかと思えば悪夢に苛まれるのか悲鳴のような呻きを洩らしながら暴れ出した。
暴れる主を久秀は幾度となく宥めた。
まるで聞き分けのない幼子のように暴れる主は力の加減も分からなくなった様で、宥める久秀に酷く乱暴する事もあった。
久秀の愛した笑顔は見られる事はなくなり、正気と狂気の狭間でもがき苦しむ姿だけが強烈に脳内に植え付けられていった。
体中が痛みに疼く。
どこが疼くのか確定できない不確かな痛みに眉間をひそめた。
遠い日は優しく甘かった情事、その優しさにその時ばかりは久秀も体裁を捨て真心を受け止めた。
しかしこの頃のそれは主の心を鏡のように映し出し久秀に酷く当たった。
求められ、応じてはなぶられて限界だと主の良心に訴えるが何に向けられたものか、主の怒りは治まることはなかった。