いち

□もうどうにでもシて。
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幼い頃から武士として育てられた。
そして武士にとり恥じるべきは何かも教えられてきた。
不義、裏切り、逃亡、諦め、これらは抱くに恥じるべき感情だ。

そして何に一番気を付けなければならないか、
それは忍である。

忍は危険。

忍と対峙してしてはいけない事が三つ、
一つ、眼を見てはいけない
一つ、言葉を交わしてはいけない
一つ、触れてはいけない

その総てを幸村は成し遂げていた。
ましてやあの口に…
思い出しては熱くなる顔面に幸村は頭を振った。

教わったのに、もう幸村の頭には恋い焦がれる忍の事しかなかった。


盛る夏は全ての命が輝いて、幸村は色に溺れそうになる頭を必死で現に引き揚げた。

「稽古でもしなければ」

油断すればあの忍の瞳が脳裏に浮かぶ。あの忍の声が、吐息が、感触が…

稽古をするにも、塀の向こうから現れた忍を思い出し、もう落胆するしか無かった。

「何たることだ」

このままではいけないと、幸村はとある場所へ向かった。
少し頭を冷やさねば。










蝉の時雨を聴きながら務めて平静を保つ。
無心、無心だ。

 
山に入れば少しだけ涼しく、沢に近づくにつれそれはひんやりと肌を濡らした。
流れ打ち付ける水の音が響けば何故か心が安らいだ。


滝に打たれれば惚けた頭も少しはましになるだろうか。


父に言われた。
忍に心だけは渡すなと。
彼らは彼らの仕える主のもの。例えばその気があるように振る舞われ心を渡した途端に命ごと奪われるのだと。

幸村はその話しを聞いた時、そんな話があるものかと疑っていた。忍の色仕掛けなど効くものか、と。
それが見事にはまってしまったではないか。
己の滑稽さに出るのは溜め息ばかりで、抜け出す為の名案などはただの一つも浮かばない。
三人寄れば文殊の知恵
と言うが幸村はこの事を誰かに相談できる筈もなかった。

相手は敵方の忍、しかもあろうことか男である。

今思えば判る気がする。


(私はもう奪われてしまっている…)


自分が一番よくわかる。
心を渡すだの渡さないだのそんな温い次元ではない。
あの日目を見た時に鷲掴まれ、触れ合った時に包まれて、言葉を交わした瞬間に奪われたのだ。


「半蔵殿…」


どうか滝の流れがこの記憶を総て流してはくれないだろうか。
手に入らないのに欲しくて、苦しくて、自分が不可解で、胸が痛かった。


忘れようとすればするほどに海馬が彼を放さない。
あの日、口付けた感触、触れた肌の温もりと滑り、漏れた喘ぎ、自然と劣情がくすぶりだした。

いけないと思いながら、しかし若い体は抑えられずに、劣情と同じく鎌首をもたげ始めた性欲の具現に幸村は手を伸ばした。


滝に打たれながら、己は何をしているのだ。
そう理性が言ったところで、切ない思いは止められず欲情として漏れだした。
背徳も手伝って徐々に熱は高揚してゆく。


ただ思い出しただけで、熱く硬くなった其処に己でも戸惑ったが、一度火が着けばもう果てるまではそれは止められない。

ゆっくりと上下に擦る。

瞳を閉じれば瞼に彼の顔。槍が腹を貫いた時の苦痛に歪む表情、己の欲望で貫けばもっと艶めかしい顔でよがるのだろうか…
常時の己が聞けば卒倒しそうな妄想に、羞恥を覚えるほど今の幸村は余裕は無かった。


程なくして押し寄せる白い膨大な波に次第に息も荒くなる。


「…………っ、半蔵っ…殿っ………」


滝の水を浴び続け、冷たいはずなのに体は燃えるように熱く、
中心からはとめどなく滑りのある液体が迸った。

「あぁ、………っ、」


もうどうしようもなくて、後から来るものの虚無感を知っていたが引き返せなかった。

下腹が重く縮む。

頂点は近い。

「あぁっ!……もう………出てしまっ…!!!」

『出せ』


「あぁっ……あああっっっっ!!!」

白く弾ける瞬間、焦がれる相手の声を聴いた気がした。脳髄まで白く染め上げて幸村は精を放った。どくりどくりと彼の姿態を浮かべながら、悦楽の海をたゆたう。
あまりの快感にしばし呆然と息だけをした。

しかし当然のように戻ってくる理性に酷い羞恥と後悔に曝された。
真っ赤に染め上げた顔を隠せずただただ若者は懺悔した。














その日の真田城には酷く落胆した幸村が在った。
誰彼が心配して話し掛けても『申し訳無い』の一点張り。何に申し訳無いのか聞けば耳を真っ赤にして黙り込んでしまう。

年頃の男子だからと皆深くは聴かぬ事にした。




 
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