□だってアナタは俺のもの。
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独房に満ちる気配はひとつも衰えてはいなかった。
しんと張り詰めていて、囚人が放つ諦めだとか絶望だとかそんなものは微塵も感じられない。
あるのはただ緊張感だけ。

「御機嫌よう、独眼竜。久しいな。」

まだ牢の入り口から数歩進んだだけだが、そこから直線上の突き当たりにある格子の向こうの男には己の存在を気取られたらしい。
本当の猛禽の様に男は気配に敏感だ。

「体調は…どうだ。」

ゆっくりと近付きながら問えば男がくつくつと肩で笑うのが分かった。
彼方向きに座していて顔は見えないが。

「心配してくれるのかね?実に奥ゆかしい。卿の右目に可愛がられていてね、そこかしこ生傷だらけだ。」

痛くて堪らないよ。

そんな事は微塵とも思っていなそうな風で梟は囁いた。

ずくずくと心臓の辺りが痛んだのは何故か。
梟の囀りは無視をした。

手には文が一通。内容は松永久秀を解放しろ、というものだった。
こんな酔狂な男の身を案じるのは、やはり同じく酔狂なあの男しか居なかった。

「魔王のおっさんがテメエを返して欲しいとよ。」

第六天魔王、織田信長。今、久秀は織田家の傘下についていた。

 
「ほう、アレが私を?フフ、ハハハ!」

 じゃらじゃらと耳障りな音を立てて男が立ち上がり此方を向いた。
いつも通りの形だけの笑みを顔に貼り付けて。
そんな男の笑みすら不愉快で政宗は眉を顰める。
「何が可笑しい。」

「返して欲しいとは、よく言ったものだと思ってな。卿もそう思わないか?」

酔狂な男の言わんとすることは皆目見当も付かずに、青い隻眼の竜は更に眉間をしかめて返答とした。

「あれの所有物になった覚えは、蚊ほどもないのだがね。」

実に不愉快極まりない。

そう言った男の顔は確かに不愉快そうで、政宗は少し怪訝に思った。
久秀はあまり感情を動かさない。それなのに今は明らかに“不愉快”な顔をしたのだ。

「ところで、それをわざわざ私に伝えに来たのか?」

「……………」

そうだ。
この事は小十郎にも伝えた。こいつが知らないという事は小十郎はこいつに伝えなかった、という事。
確かにそれが普通だ。
こいつは捕虜であってそれ以外の何者でもない。
しかし政宗は知っていた。堅い絆を結び誓いを交わした従者が、この梟に傾心していることを。
そう思えばまた、心臓の深い処が柔らかく痛んだ。

 
「右目がそれを私に伝えたか知りたかったのかね。」

蔑むような眼差しにいつものように視線を返せないのは何故。
息がしにくいのは何故。
この男がそれを知るのは何故…

「まだ、若いな卿は。」

冷たい表情が一変、慈しむような眼で見られた。政宗はこの類の目に弱い。ことこの男にとり眼差しや表情など見える部分はおおよそ真意でなかったとしても。

「おいで。」

(手負いの獣は凶暴と言うが、これはもうその力さえ喪っているのか。)

政宗は言われるがまま久秀の入れられる独房の、格子のすぐ前まで来ていた。

「辛いかね?」

信じる腹心には聞けずに、私に聴きにくるあたり心の内はなかなか複雑らしい。
少し荒い格子の隙間からは枷を填められた手は全ては出ないが指は出せる。

政宗はというと、まるで何かの心術にでもかかったように久秀から眼を離せず格子に肌が触れそうな程に近付いていた。

そんな若き竜の頬にその指の背を這わせた。

嫌なはずのその感触が酷く暖かく心地よくて政宗は息が苦しくなる。
幾度こうした感情を抱えては飲み込んできたか。数知れない。

 
久秀と政宗との間には格子がひとつ、錠がひとつ、手枷がひとつ。
大丈夫、過ちは犯さない。

久秀を隔離監禁するための格子は、今や政宗を守るためのものになっていた。
囚人はいったいどちらか。


「辛かぁねえよ。ただ、てめえに言っておきたいことがあって来たんだ。」

少しだけ竜の纏う雰囲気が変わる。
その様に愉悦に浸る心を押し隠して久秀は笑んだ。

あぁなんと狂おしい。

「はて、聡明な若き竜はこの梟に何を伝えに来たのかな?」

這わせた指をゆるり引いて、久秀はじゃらりじゃらりと独房の奥へ。
その奥の天井近くに申し訳程度に付けられた小窓が光る。

その小窓を見上げる背に政宗が物悲しさを感じたのは、きっと気のせいだろう。


「てめえに小十郎は渡さねえ。」


ぴたり、
小窓から見えるであろう空を見つめて梟は止まった。それが何を意味するのかは政宗には分からない。

「小十郎は俺のもんだ。」

酷い独占欲と執着心。
渦巻く感情の名称を政宗は知っていた。
それは綺麗な絆だとか愛だとかとは酷く懸け離れていることも。


 
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