三千世界の烏とともに
□喰らうもの
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「おぬしは、昔から綺麗なままだな。」
「それは新手の嫌味か何かか?」
ひんやりと冷たい夜。
絹の布地が肌に纏わりついて、その滑らかさが心地よい。
戦場で、土埃に血に汚れた体が嘘のようだ。
「いや、本心よ。」
漆の如し髪をすき、筋骨逞しい体躯を撫で上げ、魏の覇者が腹心へ紡いだ。
「この手で、迷いなく敵を斬る、か。」
「迷いがないと、何故分かる?」
「あるのか?」
「………ない。」
そっと合わせられた掌、柔らかな女の肌のようにはいかないが、確かに其処にあるぬくもり。
それはひとときの安寧をもたらす。
体躯をまさぐる手はまた上へと巡り、鎖骨を撫で頸部を通り頬をさする。
はた、と目が合った。
ふたつとひとつが。
ひとつしかない瞳、焦げ茶の瞳。
「痛むか?」
もうひとつあったはずのそこに手を添えれば、少しだけ、ほんの少しだけ眉根が寄った。
「たいしたことはない。」
「目玉を、喰ろうたそうだな。」
「俺のもんだ。」
「うむ。」
かつて球がはまっていたそこはなだらかに窪み、柔らかな肉がまいている。
己がために亡くした瞳。
その武も、その思考も、その生すらもこの男は自分のために捧げると言った。
それは狂おしいほどに愉悦で、少しばかり哀しくて、酷く愛しい。
「やはりおぬしは美しい。 」
「そういう事は女に言ってやれ。」
「もし、おぬしの手足がもがれたら」
「………………」
「わしが喰ろうてやる。」
むっとしたままだった顔がゆるり崩れた。
「馬鹿か。」
柔らかく笑んだ其処に口を寄せる。
張りつめた体躯とは違い柔らかいその肉は心地よく、やわやわと食んだ。
甘い甘い蜜の如し。
「おぬしは、儂のものだ。」
大真面目に言えば、気まずそうな顔をして目を逸らされた。
頬と耳とがほんのり朱色に染まるのを見て、曹操はまた心うちで笑うのだ。
(ほんに、心は清く幼き日のまま。)
愛しい男の額に口付けた。
20130401