いち

□忍
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温かな土の匂い、
爽やかな風の匂い、
むせかえる鉄の匂い。

木々のさざめき、
鳥の囀り、
断末魔。

空の青さ、
花々の彩り、
流れる赤の色。

気配を消して忍び寄り、感情を殺して息を絶つ。
刃を伝う太刀の感触。



忍びとして産まれて忍びとして育ち、忍びとして生きている。

人ではなく生ける道具として。


もうこれ以外に生きる術は解らない。

願わくば…

















ぬかるんだ地に降り立つ。
霧のような雨はさらさらと優しく降り注ぎ浴びた液体を洗い流してくれる。

主が今川の人質でなくなり本格的に世が乱れ初めて、暗殺の機会は面白い程増えていった。

今まで浴びたことの無いほどの血を浴び、聞いたこともないような断末魔を聞いた。
耳に残るそれを振り払おうと試みた事もあったが徒労に終わり、あらがうのを止めた。

常人より鍛えた嗅覚、視覚、聴覚、ありとあらゆる感覚は役立つと共に精神を蝕む材料にも成り得た。

殺せば殺すほど解らなくなる自身の位置付け。

気を緩めると理性を失いかけるのが、手に取るように分かった。


帰省本能か、ぼうと晴れない頭でもいつの間にか主の居る三河へと戻っていた。


ふらふらとおぼつかない足でやっと城の中へ。
足がもつれて地に平伏した。

駆け寄ってくる足音と色々な声。揺さぶられて、覗き込んでくる紫の瞳と眼があった。


そして遠くから近付いてくる懐かしい声、柔らかな日溜まりのような気配に無意識のうちに安堵する。

「半蔵、何て事だ…!早く手当てを!!!」

あぁ、我はまだ半蔵で居るのだ、まだ理性を保てているのだ、と。

忍びの分際でこの様な温い感情を抱くなど、不覚。


だが、赦されるなら
願わくばもう暫くこの『人』という枠組みの中に居たい。

温もりに包まれる喜びを知ってしまった。

主の為に散るその日まで、人という者に在ってみたいと。



そう願いながら半蔵は静かに眼を閉じた。


雨は上がり柔らかな夕陽が辺りを包み込んでいた。



‐終‐
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