いち

□あまい
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隣で目を閉じ眠る忍の髪に触れた。
艶やかな質感と溶けてしまいそうな黒、
手で梳けば存外柔らかくしなやかだ。
少し上がった眉尻や通った鼻筋、女の様に繊細そうな唇、
端正な顔に思わず手が伸び
輪郭をなぞるように触れていた。

ぎらり
と光る眼差し、
端麗な容姿とは裏腹なそれに心を捕らわれたように動けなくなった。

「どうした?」

「ね、寝ていたのではないのか。」

どう弁解してよいか解らずに、
疑問を疑問で返してしまった。


「誰ぞ触れるのでな、」
目が覚めたわ。
と言われれば少しばつが悪くて、
そっと触れていた手を離した。
「…すまない。」

力無く紡がれた謝罪には返事をせず、
忍は離れゆく手を握った。
なんと細い指か、

「熱でもあるのか?」

確かに暑かった。
それは病に対する防衛の熱ではなく、
目の前に居る忍に言えるようなものではなかった。

「大事ない…」

「…顔も赤いぞ。」

 
この忍は意外と鈍いところがある。
よくは知らないが情報を得るために
男を相手に足を開くとも聞いた。
そんな男が己に向けられる感情に気付かないなどあるだろうか?
不埒な事をぐるぐると考えていたら
忍が顔を近付けてきた。

こつり
と額と額が優しく触れる。
母が子の体温を探るような仕草、
なんでもない仕草に不覚にも下半身が反応した。

ごくり
生唾を嚥下すれば男の異変に気付いたらしい忍が額を離した。

「……………」

無言が何よりも痛く
目を逸らす。

「試したいか?」

問われた問いの意味が分からず
動揺してしまう。
正確には、問いの意味は分かるがその問いが忍から出てきた事に酷く驚いたのだ。
そうだと言えばどうするのだろうか?
酔った頭ではろくな考えは出ない。

「そ、そ、そのようなつもりではっ…」

「では、どの様なつもりだったのだ。」

下心を叱咤されているような、
どうしようもない後ろめたさが広がる。
ぴしゃりと言う忍の目からは
何かの術でもかけられたかのように逃れられない。


 
「申し訳ないっ!」


謝罪しか出来なかった。
忍に問われたことをはいはいと肯定もできず、
かと言って否定もできずただ謝るしか思い付かない。

少しずつ築かれて来た信頼を手放す事だけは避けたかったのだ。

こんな劣情如きで大切な仲間との絆を無にしたくは無かった。
それ以前に人として見限られたくなかった。

正座して額を床につけとりあえず謝る。
忍は今どんな顔をするだろう、
なんとなく空気が和らいだ気がして「謝らずともよい」と少し笑みを含んだような声が頭上から注いだ。

胸に広がる生暖かな安堵。

「かたじけな…」

顔を上げて満面の笑みを向けるつもりだったが
それは叶わなかった。

面を上げた瞬間、
男の口に触れる柔らかなそれに頭の中は一気に白く成り果てた。

刹那が春秋の時のように感じられる。

現状をよく理解できず、
滑り込んできた熱い舌に翻弄される。
滑りのあるそれが粘膜を蹂躙すれば
耐え難い程の快感が鎌首をもたげた。

(早く…やめなければ!)

焦りとは裏腹に執拗に絡み付くそれに
はらりはらりと理性が落ちてゆく。
全ての感覚がそこに集中していけない。
好いた女とのそれより各段に恍惚感が上回り男は焦りを覚えた。

(これ以上は…)

そんな僅かな制止もどこか遠く儚げで
あまり役には立ちそうもないが。

酸素が足りないと脳が訴え始めた頃に
やっと口が解放された。
しばらくは恍惚として目前の忍を見つめていたが
細波から次第に荒波に変わるように理性が押し戻し
後悔と羞恥とに男は真っ赤に染まった。

「な、な、な、何をするのだ!」

大柄な武士が接吻ひとつで真っ赤になり狼狽えるのを見て
忍は愉悦に笑った。

「こういう意味では無かったのか?」

「違う!」

自分とは違い何ともない風で言う忍に少しばかり腹が立った。
きっと誰にでもこうしているのだろう
と思えば何故か無性に切なくて。

「そうか、我はそういう誘いかと勘違ったわ。
今のは忘れろ。」

しかし忍は思いもよらない言葉を口にした。
艶やかな表情で口惜しそうに放ちまた床に入った。
男はというと心臓がばくばくとうるさくて
速い脈が苦しくさえある。


気付けば小柄な忍に半ば覆い被さる様にして
横たわる忍を後ろから抱きすくめていた。
その行動に一番驚いているのは他ならない己自身だった。


 
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