いち

□蜘蛛の糸
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赤く染まる空、周囲を満たす煙、鼻を突く肉の焼けた臭い。
忠勝は、早鐘を打ちすぎて今にも止まりそうな心臓を抱え、ひたすらに馬を走らせた。
あの方角は…

(半蔵、)

酷く喉が渇いた。
こんなにも遠かっただろうか?
馬の肌がしっとりと濡れ、死力を尽くし走ってくれているのは分かっていても手綱を握る手を緩めることは出来なかった。

(どういうことだ)

巡る想像に吐き気さえする。
坂道を登りはじめ、陣が近い事を知った。一刻でも速く、無事を確かめなければ。

そんな忠勝の小さな願いは、目の前に広がる光景に無慈悲に握りつぶされた。

「……………」

言葉が出ない。
ただ目の前に広がる焼け野を呆然と見詰める。
落とされた。
本陣ではないが落ちることは無いだろうと皆が思っていた場所、半蔵が護っていたはずだ。

そうだ…
「半蔵、」

ぽつり、誰にも聞こえぬほど弱々しい声で呼ぶ。
彼のことだ、何処からかひょっこり現れるやもしれない。
と期待しながら、
一方では、あの男が陣を棄てて逃げるはずがないという絶対の確信がわいて出る。
という事は、

「半蔵!どこに居る!」

 
焦りからか怒号の様な声が出た。
返事を、返事をしてくれ。
煙る大気は目に沁みて視界が得にくい。
まるで世界の時間が止まってしまったかの様に、辺りは奇妙な静けさを放っていた。
馬を降り、ゆっくりゆっくり陣の中央へ。
辺りに転がる焼死体は敵か味方か、独特の噎せ返るような臭気を放つ。

「半蔵?」

転がっていた。
よく見知った小さな躯、藍色の忍装束は至る所が裂かれそこから白い肌と赤い肉が見える。

「半蔵!」

駆け寄り思わずすくい上げたが、躯は既に体温を失い始めていた。
辛うじて吐かれる息も浅く、命の終わりが近付いている事を物語っている。

「何があったのだ、」

どうすることも出来なくて、ただ小さな躯を優しく抱き締めた。
どうしたらいい、どうすればいい、
己のあまりの非力さに愕然とした。
戦が強くても、傷一つ負わずとも、大切な者一人すら守れずして何の役にも立たないではないか。

「た…だかつ?」

半蔵を如何するべきか、焦りで白くなる頭を必死で動かそうとしていれば、抱えた躯が僅かに動き声が出た。

「半蔵!」

開けられた瞳は焦点が合わず、空虚をさ迷っているようだ。
見えてはいないのだろう。

 
「拙者だ、忠勝だ。」

努めて静かに、しっかりと、半蔵に届くように。

「何を…震えて、いる…」

半蔵は相変わらずの言い種で応えた。

「馬鹿者、お主が…」

言いかけて忠勝は言葉に詰まる。
死にかけている、というよりはもう手の施しようがない。
忍であるこの男が自身の死期も分からぬはずはあるまい。

「捨て置け。」

そう言う事かと思えば出てきた感情は腹立たしさ。何故そうも簡単に言い放つのか、命への執着の無さは転じて半蔵を案ずる者への冒涜に近しい。

「何を言う、」

「もう保たぬ。」

「その様なこと、」

「見て解る、か。」

「……………」

「忠勝、………殿に、お慕い…していると、」

「……………」

「最期に、」

少しずつ掠れゆく声、
消えそうな命の灯火を前になす術なく、それを受け入れるしかない。
なんと無力な事か。
止める間もなく、目から涙が落ちていった。

「馬鹿を言うな、」

「阿呆、冷たいわ。」

ぽたぽたと涙は忍の頬を遠慮なしに濡らした。
吐き捨てて笑った忍の顔は、遠い昔まだ幼き頃のあの日のままで。

 
「忠勝に、会えて………」

ゆっくりと閉じられる瞼、時は永劫刻むことを忘れたかの様で。

「半蔵…」
「半蔵!」
「半蔵!!」

ただ呼び続けるしか無かった。
こんな形で別れが来るとは、
まだ何も伝えていない。
まだ何も語らっていない。

まだ、何も。

目を開けてはくれない男の、面を横切る傷跡を撫でた。
男児たるもの泣いてはいけない、分かってはいるがそれは止めどなく溢れた。
この時代に生まれ日々覚悟して生きてきた、つもりだった。

「半蔵、何故…」

何故お主なのだ。

幾人も殺してきた、この様な思いを抱く者を自分は幾人と造ってきたのだ。
因果応報
分かってはいるが、ぶつけることの出来ない怒りは胸の内で轟々と渦巻いた。



 
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