壱
□松永
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穏やかな日差しのまどろむ午後の事だった。
ふいに現れた主と茶を飲みながら若干の眠気とけだるさに襲われていたその時、主からある提案を持ちかけられた。
「久秀、久々に散歩にでも行かないか?」
「今からですか?」
昼寝としゃれこみたい久秀にとってはあまり嬉しい誘いでは無かったが、立ち上がり
「お前に見せたいものがある。」
とすたすたと歩いていく主を放っておく事もできるはずがなく、
久秀は重い腰を上げた。
言い出したら聞き分けがないお人だからな、全く面倒面倒。
ぼやけた頭で考えながら後に続いた。
前を歩く主の背中に焦点を合わせ何を考えるでもなく着いていった。
少しだけ冷たい風に鼻くうを擽られ途中からどこへ向かっているのかも分からなくなり、懐かしい匂いがしてきたと少しだけ意識を現世に向ければ前を歩いていた主の背中にぶつかった。
「失礼、ぼんやりしていました。」
「ははっ、久秀前を良く見て歩きなさい。おまえらしくもない。」
やんわりと笑む主に少しはっとした。
「ほら、松林だ。」
さも得意気に主が話す。
いつの間にか周りはそびえ立つ松に囲まれ、木々の香りが肺に満ちた。
懐かしい香りはこの
松たちの匂いだろうか?
それにしても久秀には主が松林を見せたいと言った意味が理解しがたく、訝しいと思った。
「そう、訝しげな顔をするなよ。」
はにかむような顔で、
「お前を拾った日のことを覚えているか?」
ふいに問われてしばらく思案する。
「雨、でしたね。
酷い土砂降りで地面と同化するのではと思っていたら、馬の足音が聞こえてきて…気がつけばあなたの屋敷で…あなたを閻魔だと思いましたよ。」
うっすらとした記憶を辿り、比較的覚えている部分を引き出してみる。
ふと主を見ると不思議そうな顔をしてこちらを見て、
「閻魔様とはね、菩薩の間違いだろう?」
柔らかく笑いながらぽそりと言った。
菩薩…それはさておき
「あぁ、そう言えば松林でしたね。」
思い出した情景を告げる。
言うと主がにんまりと笑い、
感情を全面に出す主が好きだった。見ていて面白い。
「そうだ。永遠に続くかと思うほど深い深い松林だった。」
だから懐かしく思ったのだろうか?
「私はお前を救ったと思っていたが、本当はお前が菩薩を救ってくれたのだ。」
真っ直ぐ見つめる瞳、午後の陽の光を浴びて眩しく煌めいていた。
「私を救っ
てくれたお前は姓を持たないと申すのでな、私が姓を付けたのだよ。
永遠に続く松林で出会ったのだ、松永とな。」
そうか、それで私をここに連れてきたのか。
何か曇り硝子が透明になっていくような感覚、微睡みが一吹きの風に浚われたような。
「そしてお前は姓のとおりとても深い男だった。
私はお前を信頼しているよ。」
主がまた微笑んで言った。ゆっくりと紡がれる言葉は耳に心地良く染み込んでいく。
「名も知れぬ街道に居た、名も知れぬ子を信じるのですか?」
少し懸念を持ちながら返す言葉
「それが人生だ、久秀。」
ふわりとまた風が吹き松の香りが立ち上る。
「久秀、」
主は背を向け松林の隙間から垣間見える青空を見上げまた話し始めた。
「これからお前にはたくさん迷惑をかけると思うのだ。
私は、三好家の復興を願っている。
敵は多勢、お前が付いてくると言うなら、よろしく頼もうと思ってな。」
「お前は我が一族に何ら関係ない。出ていきたければ、いつでも良いのだ。」
何を今更言うのかと思えば、そんな事か。
全くいつもどこか肝心な所で拍子抜けている主に細く笑いが出た。
「何を仰るかと思えばそんな事ですか。」
「
そんな事とはお前も口が悪いな、私は大真面目だ。」
本当に真剣そうな顔に何故が笑いが出て、
「姓を授けてくれた恩をお返ししましょう。
あなたが前を向いて進んでいく限り、私はついていきますよ。」
そうか、と主は呟き
ありがとう、と零した。
陽は陰り橙の光が辺りを満たし始めていた。
肌をなぜる空気が少し冷たくなり、
また来ようか。
と言った主とともに帰路についた。
今日は昼寝をしそこねたな、と密かに思った。
〜終わり〜