壱
□対峙する覚悟、否逃げの常套句。
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哀れな男だ。
煌めくものに惹かれて飛び回り、それが自分には手に届かないものだと知れば酷く落胆し、かと思えばまた懲りずに触れようとする。
触れられないのは何故なのか、卿は知る由も無いだろう。
何故ならば卿は気付いていないのだから。
煌めいて眩しくて触れようにも触れられないのは、そう、違いなく卿の方だ。
触れようとした私はもう、触れるための手も卿を見るための眼も焦がれてしまったよ。
まったく、不愉快だ。
竜である卿がこの雨を降らせるのだろう、水に愛された男。
私は雨が嫌いだ。
せっかく纏った鎧をいとも簡単に剥ぎ取って、中身を露わにするから。
翼の濡れた梟は飛べないのだよ、羽に空気を含めなければ重いからだは浮かぬのだ。
焦げ茶の髪を梳けば、存外に柔らかく癖になるその感触に手が放せなくなる。
この男とはいつか本当の意味で殺し合うのだろう。
この時間はきっとその時が訪れるまでの余興。
「てめえは、何かを撫でてなければ落ち着かねえのか。」
起きていたのか。
「手癖が悪くてね。生憎此処には卿しか居ないから、仕方ないだろう?」
「ふん」
私は、卿が今どんな顔をしているか知っているよ。
欲しいものを欲しいとは言わない癖に、側に置こうとするその手癖の悪さは尊敬に値する。
しかも無自覚なのだから一層質が悪い。
滑らかに流れる首筋をなぞれば竜の右目が此方を向いた。
「何だ、」
「いや、斬ればきっと美しい血が溢れるのだろうと思ってね。」
「どす黒いの間違いだろ?」
笑う右目。
あぁ、その自虐の瞳が堪らない。美しい天上ばかり見ていたから、現の汚れが新鮮過ぎたんだろう。
「それを美しいと言っているのだ。少なくとも、善を取り繕っている輩よりは幾分も美しいだろう。」
「お前…ひねくれてるよな。」
「いや、卿には負けるよ。」
「………そうだな、俺は相当悪趣味だ。」
「ははっ、それを隻眼の竜にも言ってやれ。さぞ悦ぶだろう。」
蛍の光のように頼りなげに揺れていた瞳が、変わることなく輝く月のように定まった。
分かり易い男だ。
元来、異種は交わってはいけないのだ。
信ずるものも違えば生き方そのものが違う。
それはそれ、と割り切れないならば欲するべきではない。
そんな簡単な事も忘れるほどに…私は無い物ねだりをしていたのか。
所々に伝う痛みに、現世は地獄だと知らされる。
相容れないのに触れ合おうとするから、互いの性質の違う炎に灼かれてしまうのだ。
体に、精神に、記憶に、数多の傷を創っても尚癒えてしまえばまた求めてしまう。
蛙は井の中に居てこそ蛙なのだ。
傷口から流れる血は生の証。
私はまだ生きている。
身を焦がす業火の中で。
果たして卿は……………まだ生きているのか?
end