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□憂鬱なのは、君のせい。
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「草薙さん、」
――まただ。
そんな目で、僕ではない男を見る君が憎い。
「飯行くぞーう。」
「あ、ま、待って下さいっ!」
草薙が扉の向こうに消えて、君は教台前の定位置を慌てて去ろうとする。
「内海君。」
「あ、失礼しましたっ。」
―…一瞥もせず、君はただ頭を下げて背を向けた。
協力を断った僕に、興味など無いということか?
この…腹に渦巻く感情は、紛れもなく君に由来しているというのに。
君の瞳は、扉の向こうにいる男の背中を追っている。
見てくれが良く、女性経験豊富な悪友に好意を寄せるなんて…。
君へのベクトルが、日に日に黒くくすんでゆく。
追いかけるべくドアノブに手を掛けた君を、僕は後ろから閉じ込めた。
*********
「彼の好みは、熟知している。―…君には、万に一つの勝算もない。」
最初は、状況が理解出来なかった。首筋にかかる熱い息も、背後に密着した先生の体温も―…。
顔の横に手を付かれてしまっては逃げ場もなくて…、私は、ただドアと先生との狭間で目を見開いていた。
"勝算―…?"
暫くして先生の言葉を反芻するが、内容が理解出来ずに呆然とする。
草薙さんの好みと言われても、私の目に映るのは大きな背中で―…。そんなものを前に何かを挑む気など、更々ないのだ。
一見優しい微笑みも、その裏に隠れるワイルドな一面も、何を言わずとも差し伸べられる大きな手も…私には眩し過ぎる。
そりゃあ、先生の様に隣に立てたらどんなに良いだろうと思うけれど。子ガモの様に草薙さんを慕い、着いて行く現状に私は満足していた。
――そうだ、これは、"恋"なんて不確かな感情とは違うのだ。
見返りなんて求めない。考え方によっては、恋よりも純粋な感情なのだ。
*****
「私は、草薙さんの恋愛対象になんてなれなくていいんです。傍にいられるなら、それで。」
"キッ!"という効果音がしそうな程、彼女は僕を睨んだ。
瞬間、脳が揺れた。そして、それが精神的なショックであると知ったのは、彼女が部屋を出た後だった。
彼女は、それほどまでに奴を…。これまでに感じた事の無い倦怠感が、体を襲った。同時に、草薙に対するドス黒い感情が沸き立つ。
「―…何事だ、これは…」
至って冷静に、客観的に分析すれば、これが"嫉妬"なのだと直ぐに分かった。脳内にいるいつもの自分が、『非生産的』『馬鹿馬鹿しい』と口走る。
それでも感情が一向に収まらないのは、それだけ孕んだ感情が大きいと言うことで―…。『いつの間に?』『彼女の何処がそんなに良いのか?』等々、今更すぎる疑問が押し寄せた。
「―…困った。これは専門外だ。」
自慢じゃないが、これまでの女性遍歴は中々の物だと思う。草薙程では無いが、たしなむ程度に遊びもしてきた。
だがそれは、肩書きと、この当たり障りの無い顔と、さらに当たり障りのない話術によって獲得してきた物に過ぎない。俗に言えば、"猫を被った"故に成せたのだ。
…彼女には、最早通用しない。
そもそもああもハッキリと気持ちを宣言されては、勝ち目など―…それこそ、万に一つも無いのだが。
好きだという気持ちを膨らませたまま放り出された僕は、胸を刺す鋭い痛みに顔を歪めた。
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「内海、お前顔真っ赤じゃねぇか。」
「…追いつこうと思って、走ったからです。」
草薙さんの声が愉しげに弾んで、私は必死に顔を背けた。顔を見られると、全てが見透かされてしまいそうで怖かった。
「―…草薙さん。最近、先生の様子変じゃないですか?」
「最近?お前が大好きな先生は元より変人だろう。」
「もうっ、茶化さないで下さい!真面目な話なんですから!」
「――…気のせいだろ。」
草薙さんは笑顔を消して、代わりにくわえたタバコに火を点けた。
気のせいだと言われても、背中に残った先生の体温は消えない。吐息を感じた首筋に手を回すと、顔がまた火照った。
―…それにしても……、もしも本当に私が草薙さんに恋愛感情を抱いていたとして、あのからかい方は酷すぎやしないだろうか。
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