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□憂鬱なのは、君のせい。
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先生が悪意の隠った発言をするなんて、今までに無かった事だ。

「行くぞ、内海ー。」

「はいっ、はーい!」

いつもの背中を追いかけながら、私は「ただ機嫌が悪かっただけなんだろう」と自分を納得させて、思考にフタをした。


―人間と言うものは、忘れようとしなくても、何かに集中するだけで雑念を追い払えてしまうので便利だ。

私も、例外なく仕事に打ち込む事で先生を忘れた。

仕事が終われば、草薙さんからのお誘いもある。この間は、ボクシングを見に行った。

沢山仕事をして、沢山遊んで、そうでなければ泥の様に眠る。それだけで、日々は跳んで過ぎてゆく。

トキメキなんて、忘れてしまえば何て事は無いんだ。そんな風に思えてしまうくらい、私の毎日は充実していた。




*******


「先生、今日も泊まりですかー?いい加減ねぇ、帰ってちゃんと寝た方が良いんですよ?」

栗林さんは左手の腕時計に視線を落とすと、やれやれと溜め息を吐いてその腕を腰に当てた。
「あのねぇ、」と説教は続くが、僕には聞く気もなく再び資料に目を落とした。
すると、言っても無駄だと分かったのか、栗林さんも態とらしい溜め息と共に沈黙をもたらした。

「―…なんだよう、人がせっかく心配して言ってんのにー…。」


ぽそぽそとそんな不満が聞こえて、次には研究室の扉が閉じた。

――…栗林さんの気遣いが有り難いものだということは分かっている。それでも僕は、いつもそれを無下にする。

自分のテリトリーを守りたい…。

……つまりは、"臆病者"なのだ――。

「―一、」
一不意に、机が振動して現実に引き戻される。

パソコンに向かうアクションを取りつつ、全く別の思考に囚われていた僕の視線の先で、携帯が震えていた。

薄暗い手元を灯すディスプレイには"草薙"の文字。
いつの間にか日は暮れていて、携帯を一瞥した僕は先に電気を付るべく席を立った。

最近、草薙は以前にも増して内海君を連れ回している様だった。

いつだったか―、奴が言っていた事を思い出す…。

『色気こそ無いが、あれでなかなか内海は男の目を惹くからな―。お前は知らないだろうが、非番の日なんかは連れて歩いてると特に気分が良いぞ。』

――わざと歩調を速める草薙に、小走りで必死に着いて行く内海君…。そんな光景が容易に想像出来て、僕は思わず机を叩いた。

それから歩くのが速いと文句を言ってむくれて、ふとした事で微笑むのだろう。

「……」


滅多に笑わない癖に、草薙相手にははにかんですら見せる。

そんな光景を見たく無いから避けているのに…。
脳の中にある射影機は、残酷な妄想を次から次へと再生し続けた。

――少し、横になるか…。

重い身体を引き摺る様に、中二階へと昇る。

硬いソファに身体を投げた僕は、一瞬にして現実を後にした。




********



「―…憂鬱…。」

――ため息をついて、私は携帯に目をやる。


こんなにも憂鬱な気分でいる理由は一つ。

栗林さんから連絡があったからだ。


『あーもしもし内海さん?栗林ですけど。あのねぇ、何の喧嘩か知りませんけど、いい加減顔くらい出してあげて下さいよ!あれから先生、ぼーっとしてばっかりだし、毎日が葬式みたいな顔で食事もロクにしないし機嫌悪いし家に帰ってくれないしもういつもの倍くらい気を遣って――』


―…何の話だろうと思った。
栗林さんはその後も早口で愚痴を並べると、私に「ちゃんとして貰わないと」と言った。

「良いですか。責任を持って先生に食事を摂らせて下さいよ!こっちは、いっつも捜査に協力してるんだから!貴女の分まで使う"気"は、残ってませんからね!」

そこで、電話はブツリと切れた。


「そんな事を言われても…」

困る。―…理由は良く分からなかったが、要は先生の機嫌が悪くて、しかも食事を摂っていないらしい。

「とりあえず、レトルトのお粥で良かったよね…?」

帰宅途中に連絡を受けた私は、スーパーで適当な食品を買い込んだ。

"これを口実に会える"と思う自分と、"まだ会いたくない"と思う自分が対峙している。

―…そして今。

私は、大学の前で校内に入る勇気が出ずに二の足を踏んでいた。

前回の、先生の不可解な行動――。あれを思うと、気が引けた。

「心配だし、顔は見たいと思うけど…。」

食料だけさっさと渡すか、扉に掛けて帰るか…。

「――……。」

――悩んだ挙げ句、私は自分の中の、より純粋な感情に従う事にした。

静かな校門を抜けて、薄暗い廊下を歩く。

速足で、かつ忍び足なのは静かな学校が不気味で恐いからだ。
「何も出ないで欲しい…」

研究室を見つけた私は、仄かな灯りが灯る室内を見て躊躇った…。



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