その他
□独白
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「……何だって?」
文字を書き殴っていた右腕が止まり、随分と素っ頓狂な声をあげた医師が俺の方に向き直った。
一人部屋を用意された俺の病室、備え付けの小さなテーブルの上では、書きかけのカルテが放置されている。
専門的な文字で書かれたそれは、患者に内容を読まれないよう、わざと崩されたものだろう。
自分の身体のことなのに、知らされることも赦されないのか、そう毎日のように苛立っていたのも、手術を終えた今となっては過去のことだ。
今はもう、この程度で精神を乱されたりはしない。
しかし……俺、そんな驚くことを言ったかな。
付き合いも長くなり始めたこの専門医は、俺が回復に向かう前こそ無表情を決め込み続けていたが、今はその筋肉も僅かずつ緩み始めている。
何よりそれは、俺の体調が回復しつつあるからに違いないわけだが……。
あまりに呆けた顔を見て、俺の方も少し驚いてしまった。
元通りのテニスがもう出来ないかもしれないことを、他の誰にも言わないで欲しいんです、俺は確か、そう告げただけだったと思ったが。
「……君はもう、テニスが出来ないと思っているのかな?」
俺が“あの会話”を聞いていたのを、彼は知らないはずだから、確かにもっともな反応ではあるのだが。
――そっちが先に言ったんじゃないか、何をいまさら。
俺は少し苛立ちながら返事を返す。
「少なくとも、次の大会までに以前の状態まで戻すことは不可能だろうと思っていますけれど」
勝ち負けの問題じゃない、これは。
例え以前の自分の力まで回復出来なくとも、誰よりも強く在り続けられれば、試合としては、それはそれで問題が無い(それは俺にとって妥協という覚悟を伴ったりもするわけだが)
だが、頂点に君臨し続けること、それがそんなに簡単な話ではないことは、二度の全国出場を経験した俺だからこそ、身に滲みてよく分かる。
強豪、一筋縄ではいかない猛者が集う場所は、病み上がりの身体で易々勝ち抜いていけるほどに甘くはない。
そんなことははなから承知の上だし、覚悟なんて前から出来ている。
手術を成功させて、どんな形であれ、仲間ともう一度全国大会のコートに立ちたい、ただそれだけの話だ。
「違うんですか?」
眈々と言ったものの、自分の袖を握りしめた指に力が入るのは止められなかった。
沈黙。肯定。
蓮二より読みやすく、仁王より扱いやすい。
簡単だな。
そう思って、俺は少し溜めていた息を吐き出した。
「次の大会……つまり君は、病気を試合に負けた時の言い訳にはしない。だから、完治をしたように周囲に思わせろ、そう言うんだね?」
「俺は、“前年の大会優勝校の部長は病み上がりだ”と噂されるのが嫌なだけです」
ただ微笑んだだけのつもりが、医師の精神がぐっと退いたことが手に取るように分かった。
俺には何か、有無を言わさぬ空気があるらしいと、他人にそう言われたのは一度や二度の話ではない。
先天的な持ち物なのだろう。
別に脅そうと思い、故意に雰囲気を凍らせているわけではないが、俺にとっては譲ることの出来ない話の内容に、
知らず自分の奥深くにある決意や、炎と言うよりも絶対零度をかたどったような情熱、
そういったものが滲み出て来てしまうことは多々あるのだろうと思う。
僅かに動かしただけの俺の指先に、神経質に目を向けた医師の喉元が、ぎこちなくうごめくのを見た。