小説置き場
□姫君の手は遥に
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本を読むふりをしながら遥を見ている。そんな時間が数分と過ぎた。
「ねえ。」
不意にかけられた言葉に対して少し慌てた僕の仕草はどう思われただろうか?
「どうかした?」
「暇だから何かしてよ。」
…本が僕の手元にあるから、彼女は真っ直ぐに僕を見つめてる。
「は?どうして?」
「暇だから。…じゃあ、見舞いに来たのに私をさしおいて二時間も寝た罰。」
「じゃあって…。」
こういう時の遥が何故か頑固なのも僕は知っていた。もう僕に選択肢はない訳だ。
「例えば?」
「自分で考えて。」
僕の当たり前の疑問についての回答は、即座に返される。
…最近知ったけど、僕を困らせるのが彼女の娯楽の一つみたい。なんとも迷惑な話だ。
「じゃあ、アメリカンジョークを一つ。」
「うん。」
興味を持ったのか、先程より感情の篭った瞳を僕に向ける遥。…話す内容がくだらないと自分で理解している分、そのキラキラした視線が痛い。
「『先週、パパが井戸に落ちたの』『なんだって。それは大変だ。パパは大丈夫なのかい?』『平気よ。だって昨日から「助けて」って言わなくなったもの』」
…一気に言ってみた。
「……うん。…そうだね。」
「頼むから哀れむように見ないでくれ…。」
「じゃあさ、屋上行こう?」
そう言った彼女の中ではもうその案は可決されたのか、たまに外に出る用の防寒着を探し始めた。
「もう真っ暗になるよ?」
「いい。」
こちらを向かないでの返事。その声はどこか弾んでいる。
外は暗いし、寒いし、それに屋上への扉はもうすぐ施錠される。
そんな正当な理由で反対しようかとも思ったけど、やめた。
なんだかんだ言っても結局こういう時は僕が折れる。無駄な抵抗をしない方がお互いの為だ。
それに、今、遥の機嫌を損ねたら、きっとさらに無理難題を要求され、断れない僕はこの前のように看護士方の笑いの種にされてしまうに違いないのだ。
「じゃあ、車いす乗って。」
足は別に悪くはない。
ただ、三年間一切運動していない体にはいろいろ弊害がつきまとう。
肺というデリケートな部分が病に侵されている遥だ。その辺は看護士の方も注意を払っている。
けど、遥は小さく唇を尖らせる。
「…屋上に行くくらい大丈夫。」
上目遣いに睨む遥。でも、ここは折れることはできない。
「ダメ。車いすじゃないと行かないよ?」
もちろん遥だって分かってる。僕だって分かってる。
ただ、たまにこんなやりとりを交してみたかったから言ってみただけなのだ。
「…分かった。」
ぽつり呟くと、自分の要求を却下されたにも関わらず優しく笑ってくれる。これが、証拠。
じゃあ行こうか?
そう車いすに手を掛けて訊けば、目の前の黒髪が穏やかに揺れた。