小説置き場

□姫君の手は遥に
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「…なに?」

「なにって、だっこしようかと思って。」

「いい。」

「階段だけさ。」

「……。」

階段の上から降り注ぐ橙色の明かりは、音も無くただ静かにゆっくりと藍色に移り変わる。

…施錠まであと残りは三十分くらいだろうか。最近は日が落ちるのが早いからよく分からない。

そんな屋上へ登る階段の下での会話だ。

車椅子では行けないから僕は遥をいわゆるお姫様だっこと言われる体勢で連れていこうとしたのだ。

おんぶよりましかな、という僕なりの配慮だったのだが遥は首を縦に振らない。

…これが初めてなわけではないけど、僕は毎度毎度横に振られるその首に悩まされる。

「この前もだっこしたでしょう?」

「この前は仕方なくて…!」

この言い訳も何度聞いただろう。

「じゃあ、部屋に戻る?」

「…それは……やだ。」

「じゃあ、…ね?」

ある程度慣れてきた問答。彼女はうつ向き下唇を噛む。

僕としては遥は軽いから持ち上げるのを苦と思わないし、変なとこには触ってないつもりだから遥の躊躇いの感情があまり理解出来ないけど、やっぱり恥ずかしいのかなとも思う。

「……。」

僕が「そんな顔」をしていたら、蚊くらいなら殺せてしまいそうな剣幕なオーラを漂わせて遥がにらんできた。…地雷踏んだ?

「…しょうがないから。」

不機嫌そうな彼女に苦笑しながら彼女の膝の裏に手をさしこむ。

「遥が行きたいって言ったんじゃん。」

「これは、二時間寝てた罰。」

子供みたいなやりとりの裏で遥は僕から顔を反らす。

彼女は他の人には絶対こういった態度を取らない。

その照れているであろう顔と、なんだかんだでだっこを了承した事実(言い出したのは遥だけど)を感じて、暖かい心の波を感じる。

とりあえず、今は遥が望んでいるであろう通りに彼女の顔は覗かないことにしよう。

「……。」

それでもどこかいつもより暖かいのは、彼女の体温か、僕の体温か。





…小さな金属音が響いた後、ドアが小さな叫びをあげる。

僕達はその扉を抜けて、夜に向かう空に臨んだ。

「…もう下ろして。」

「あそこのベンチまでね。」

「……。」

こういう時はやたらと子供に見える。そのギャップが見たくて、先程ゆっくりベンチに向かう。

彼女も分かったのだろう。目を合わせなくても不機嫌な様子が伝わる。

とりあえず苦笑する。意味は…よく分からない。

外側を向くベンチ。数歩歩いてたどり着いた。

「到着ー。」

「…ありがと。」

その語気から察するに、怒りは収まっていないらしい。そうして、やっぱり苦笑するのだ。

そんな小さな子供みたいなやりとりでさえ、群青の空には唯一の絆。

嗚呼、僕達が開けたドアが音を立てて閉じる。

「ゴメンね?」

「…いい。」

隣に座って呟いた言葉への返答は間に間を置かない簡潔なものだった。

お互い見つめ合うわけでもなく、空と街が交ざる辺りをぼんやり眺めた。

「ありがと。」

二回目は一回目より穏やかに。

「ううん。僕もこういうの好きだし。」

遥が好きであること前提の質問。

その確かめられてもいない前提に柔らかく笑い、投げ出していた僕の右手に左手を合わせる。



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