テニス駄文
□迷子
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堅苦しい制服から私服に着替えて、仁王の母の自慢の手料理を食べると二人は早々に部屋に戻る。
何をするわけでもなかったが、いつまでも彼の母親と一緒にリビングに居続ける事は正直息苦しいのだから仕方がない。
何よりも自分たちがこうして二人でいる理由を、お互いがよく分っていたからこそ、尚の事だった。
おそらく自分を信用してくれているであろう仁王の母親に対して自分達のしている学生らしからぬ過去の、そして今日も繰り返される行為に対しての罪悪感のようなものが柳生の中にあったからだろう。
部屋に戻り、ベッドを背もたれにする様にして柳生が落ち着くと、仁王はその腰に抱きついた。
まだ昼過ぎだというのにそんな行為に耽るなど非常識も甚だしいと思いながら、どうせ逆らうだけ無駄なのだろうと柳生は溜息をついたが、仁王は彼の意に反して、だたそれ以上はなにもしなかった。
寝返りを打つようにして身体の向きを変えると、柳生の膝に頭を乗せて満足げに床に寝転がった。
「あの…一体何を…」
「膝枕。見てわからんか」
「分るといえば分りますが…。あなた、そんな事をする為に私を呼んだわけではないでしょう?」
「そんな事なかよ?」
今まで一度として行われたことの無かった行為に戸惑いを覚えそう尋ねたが、仁王は嬉しそうに笑った。
「今日はな、多分俺、ワガママじゃよ?覚悟しときんしゃい」
「今日はって…。仁王くんはいつだって我儘じゃないですか」
「まあそう言いなさんなって。じゃあまずは手始めにその呼び方、止めてもらおうか」
「呼び方って、何の?」
「俺の。こんだけ付き合うて未だ苗字とか寂しいじゃろ?いいかげん名前で呼んでくれてもええと思うんだが…どうよ?」
「ではあなたも、私の事を名前で呼ぶのですか?」
「いんや。俺はそのまま」
ますます今日の仁王に対する謎は深まる一方だ。
この流れなら、恐らく自分も名前で呼ばれることになるだろうと想像していたのに、自分に要求するだけなのだから。
「…何か意味、あるんですか?」
「あるよ。俺にとってはな。それより柳生。エエから早う呼んでみて?」
「……」
「なあって」
「……雅治…くん」
「“くん”とか付けていらんし」
「では、雅治…?」
「そうそう。今日一日それで通せよ?」
「…はあ…。構いませんけど」
躊躇いがちにその名を呼ぶと、仁王は再び嬉しいのだという気持ちを隠すことなく満面の笑みを浮かべている。
たったこれだけの事でこれほどに素直に喜んでくれるのならば、もっと早くに言ってくれれば良かったのに。
相変わらず自分の膝の上で笑顔を浮かべている仁王の髪に指を通しながら、柳生はそう思った。
覚悟をしておけと言われそれなりに身構えていたにも関わらず、仁王から柳生に対して投げかけられるお願い事とは、いずれも些細な事ばかりだった。
手を繋いで欲しい。
キスして欲しい。
抱き締めて、頭を撫でて欲しい。
散々抱き合ってきた者に対して今更断る必要もないような事ばかりか、今までに幾度となく繰り返されてきた行為ばかりで、柳生は益々、仁王の意図が分からなくなったが、彼の言う我が儘の中には不快に思うようなものも、拒絶しなければならないようなものもなかった事もあり、彼の望みをひとつずつ叶えてやった。
その度に、喜ぶ彼の姿に癒される自分が少しくすぐったくなる。
きっと、心が満たされるとは、こういう事なのだろう。
自分が読書をしている内に膝を枕にしたまま眠ってしまった仁王の寝顔を見つめながら柳生は、穏やかになるばかりの心に、ふと、そんな事を思った。